『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.795

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へとて、其座皆々御ひらき候事、, 人被召連、ひだかに筑前守殿御屋形へ被成入候處に、番之衆書院へせう, に被思けれとも、上にら、とても御討果候は、出仕之時朝可然御座候はん, し奉り候處、筑前殿はいかにと御尋あり、はや被伏候と申候へは、おこさ, う才覺をまわし候はんもさらに不被計候、朝出仕候時腹を切さしとて, 家をはしめとし被思けるなり、さらは是より相久敷、勝家所にくこを過, と、いと事もなけに被申候へは、皆々筑前守をにくまさる者はなたと、勝, も、御祝のはまたけになる程の儀にくら無御座候、却而目出度御事と存, 何參候哉と、勝家被申出候處に、瀧川左近、我等も左樣に存より候折節、此, 候、はやはや此事可然候、五郎左衞門殿は、此事筑前守ニ聞さはやとは心, し、夜は談合ありけると、四方にも沙汰於有之は不然候、はや〳〵御歸候, 事被仰出候間心中不殘申候、勝家如御分別、後々にはいかやうなおぎほ, 人罷歸候時歟、又登城の折節、二之丸にてく筑前守ニ腹を可切也、各分別如, 一丹羽五郎左衞門殿宿へ被歸、世間夜もしつまりけれは、小姓まてを一兩, 明後日は、於御城三日めの御祝也、本城こては不入儀ニ候、御祝過候て、我, 天正十年六月二十七日, ニ腹ヲ切, ラセント, 長秀勝家, 密告ス, 等ノ陰謀, ヲ秀吉二, 勝家秀吉, 天正十年六月二十七日, 七九五

頭注

  • ニ腹ヲ切
  • ラセント
  • 長秀勝家
  • 密告ス
  • 等ノ陰謀
  • ヲ秀吉二
  • 勝家秀吉

  • 天正十年六月二十七日

ノンブル

  • 七九五

注記 (25)

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