『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.904

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らお、兵を興國寺にあはめあまもるべしとなり、長茂こたへて、いまた上方, を率ゐる攻ふといふとも、をの〳〵護おところの地にありて、必死を遂む, こそ本意ならめとこたふ、康親、重次も其議に伏しあ、をの〳〵けの地をま, 稻垣長茂, 曾祖父本多作左衞門重次, の實否詳ならはるに、はや兩城を退かは、敵方よりいかなる計略あらむも, しるべからす、もとより北條の押をうずたまはりし身なれは、學とへ大軍, あお乃ところ、康親、重次より使をもつる、織田右府生害の告あり、今われわ, れ微勢にして、三所にわかるゝ事しかなへからす、三枚橋、清水乃兩城をひ, 寺は牧野康成これを守衞するにより、長茂も康成にしたかひあ、かの地に, もる、こ〓とた伊賀甲賀の士彼風聞をきゝ、所々にあずまりる、私語するも, 條家の押としあ、三枚橋は松平周防守康親、清水は本多作左衞門重次、興國, 十年、駿河國御平均あり、北, 〔寛政重修諸家譜〕, 一駿河國御手ニ入候時、江尻、久野兩城作左衞門に被仰付、國中仕置仕候由、, 覺, 本多作左衞門重次, 曾祖父, 藤助、平, ○下略、寛政重修諸家譜本多重次譜異事ナシ、重次禁制, 右衞門, 三百八, ヲ駿河草薙社ニ掲グルコト、本月十九日ノ條ニ見ユ, 十四, 牧野康成, 能ヲ與フ, 本多重次, ニ江尻久, 松平康親, 稻垣長茂, 天正十年七月三日, 九〇四

割注

  • 藤助、平
  • ○下略、寛政重修諸家譜本多重次譜異事ナシ、重次禁制
  • 右衞門
  • 三百八
  • ヲ駿河草薙社ニ掲グルコト、本月十九日ノ條ニ見ユ
  • 十四

頭注

  • 牧野康成
  • 能ヲ與フ
  • 本多重次
  • ニ江尻久
  • 松平康親
  • 稻垣長茂

  • 天正十年七月三日

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  • 九〇四

注記 (32)

  • 751,620,63,2190らお、兵を興國寺にあはめあまもるべしとなり、長茂こたへて、いまた上方
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