『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.370

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見仕、御のき被成候、殘ル衆は、歳廿四五より上の小性衆なく、勝瑞町人貳拾, けてのき申候、明て廿八日には、土佐の貳萬人の人の先手は、一宮殿、桑野殿、, 富と勝こうじとの間に御陣取被成候、先手百計は、中富川端まて押寄候所, 人計取集て、御供八拾人ゟ外は無御座候つれ共、元親は、いかにもしつかに, にて御供申候故、能そんし候、元親かその儘勝瑞へ付入候へは、一人も不殘, 候時、二萬人か足をふみとめ候故にひま入申候、此軍の事は、道知か拾八歳, も叶軍にそはなく候間、打死せんとて刀をぬき、か車打して川中へ渡り入, と御意被成候を、臣下に東村備後と申もの、年五拾餘りになる人壹人、御異, 跡をつけ申候、中富ゟ勝瑞へは一里にたらす候、早朝の軍に、晝過て勝瑞へ, 候、正安公も先手の衆よりも、一町計東へ御馬をめし候て、打死被成候はん, に、土州の二萬人は、川の深きところも、淺き處も、平に中富地へわたし申候, 御引被成候、政安討死可被成覺悟ニ候ひつるか、細々御馬を引かへし被成, 黒田原まて御出被成候、正安は勝瑞に御座候つれ共、人數千にあ〓らず、中, これを見て、三好正安公、中富之尾迄御馬をよせられ候、先手百計の衆は、迚, 討果候に、池ぶちと申所に陣を居、貳萬人之衆に晝めしをつかはせ、二時隙, 天正十年八月二十八日, ヨリ中宮, 二出ヅ, ニ陣ス, 存保敗ル, 勝瑞ニ歸, 存保勝瑞, 元親池淵, ル, 天正十年八月二十八日, 三七〇

頭注

  • ヨリ中宮
  • 二出ヅ
  • ニ陣ス
  • 存保敗ル
  • 勝瑞ニ歸
  • 存保勝瑞
  • 元親池淵

  • 天正十年八月二十八日

ノンブル

  • 三七〇

注記 (26)

  • 867,648,71,2225見仕、御のき被成候、殘ル衆は、歳廿四五より上の小性衆なく、勝瑞町人貳拾
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