『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.485

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りしこと有、, 袈裟分れし也、, 子孫熊本こ居すと云々、再考, 大きれものにて吸付て如此と云々、, 主殿助方ニ御向ひ被成候へは、主殿逃出候を、中路市之允, 一書、日置主殿は、次の間より斬て入、又一書、主殿は忠興君に志を通し, 供の士此音を聞て斬込んとするを、仕手の面々はや廣間に至て切立候、, 逃失たりと、然れ共中路討とめたる事實説也、主殿か子後に忠興君御, 扶持被成、中路を敵と思ふ〓からすと被仰、中路も懇に云ける由也、其, 留候、義有は銀の打鮫の中脇差を少拔かけなから、次の縁にどふと倒れ、, 扨義有御盃を戴かれ候所を、忠興君拔打に、肩先より側腹かけて斬給ひ、, 日と記せり、大なる誤也、監物は助右衞門是政子こ而、宗堅孫也、, 説、供の士兩人にて引立、屋敷の外迄出ける時、倒れて袈裟分れし也, 義有の前に、三方有しに御心を付給ふ故、少懸りしかと、後に被仰候、, 一書、天返の打かけから中りたるものにて有へし、前か六七寸程かゝ, 討, 天正十年九月八日, 門、又周防、, 後次郎左衞, 井澤, 御年譜, ヲ斬ル, 忠興(義有, 義有家臣, ノ奮鬪, 天正十年九月八日, 四八五

割注

  • 門、又周防、
  • 後次郎左衞
  • 井澤
  • 御年譜

頭注

  • ヲ斬ル
  • 忠興(義有
  • 義有家臣
  • ノ奮鬪

  • 天正十年九月八日

ノンブル

  • 四八五

注記 (27)

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