『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.509

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邊の領主山内將監通倫をは大將として、將監か在所本庄、菅野の兩城に楯, に非とて、既に和談に成にける、籠城の地侍、其在々安堵の事、子細有へから, ち、竹木なとをはらひよせけり、斯る處に、忠興申されける樣は、此城主山内, とも不知也、何とて此所には住れけるそ、古しへを思へはあなかち攻可亡, 岩木の城主井上卒度右衞門、岡ケ城の小瀬因幡籠ける、寄手の大將は、細川, さるの旨事究る故に、將監は本庄、菅野の兩城を細川にそ渡ける、然れは忠, に親しき舊友たり先年京都の逆亂に、皆ちり〳〵に成し後、此人何國に有, 將監は元來公方家の臣下にて、本國は丹波也、公方の都にまします時、此將, 監、同親父山内伊勢守とは、常々御所にて參會し、公私に付て、父子ともに互, 主小倉備前籠ける、菅野の城には、竹野郡の内吉永の矢野兵衞佐、後藤金藏、, けるか、城中殊の外強く見えけれは、寄手先攻支度せよやとて、在家をこ〓, 立退ぬ、爰に與佐郡日置より、北方并に竹野郡の地侍は、本庄、菅野、蒲入、宇川, 與一郎忠興、同舍弟頓五郎、其勢千餘りにて、先本庄の城取卷て、一日一夜責, 前は城を渡して降參す、下岡の高屋好清、徳光村の後藤惡介、何れも但馬へ, 籠、本庄には龜嶋の城主島田藤兵衞、野室の太田右京、土井小十郎、平村の城, ノ諸士降, 等竹野郡, ニ逃ル, 忠興興元, 等ハ但馬, 山内將監, 本庄ヲ圍, 和議成ル, 高屋好清, ラズ, ム, 天正十年九月八日, 五〇九

頭注

  • ノ諸士降
  • 等竹野郡
  • ニ逃ル
  • 忠興興元
  • 等ハ但馬
  • 山内將監
  • 本庄ヲ圍
  • 和議成ル
  • 高屋好清
  • ラズ

  • 天正十年九月八日

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  • 五〇九

注記 (28)

  • 1694,645,69,2227邊の領主山内將監通倫をは大將として、將監か在所本庄、菅野の兩城に楯
  • 401,638,69,2216に非とて、既に和談に成にける、籠城の地侍、其在々安堵の事、子細有へから
  • 999,637,66,2226ち、竹木なとをはらひよせけり、斯る處に、忠興申されける樣は、此城主山内
  • 525,640,69,2214とも不知也、何とて此所には住れけるそ、古しへを思へはあなかち攻可亡
  • 1344,644,67,2225岩木の城主井上卒度右衞門、岡ケ城の小瀬因幡籠ける、寄手の大將は、細川
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