『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.916

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秀吉聞たまひそ、尤其儀よろしかるへし、此方より願ふ〓を所なり、併信長, 趣演説申けれは、秀吉公のいわく、柴田殿は古の殿乃老臣にて侍れは、我少, も疎意に可存事一つもあらす、柴田殿を後楯にいたし、若君を守立可申な, 家等悉く誓紙いたし、天下相續の儀相堅むへしとて、事を左右にさられに, る、四人のひと〳〵もけにもとおもひ給ひ、同四日には、信長公の御墓所大, 重而被申けるやうには、如此中和の上にて候へは、我々罷越候しるしに、無, 仰段、尤幸これにしかし、自今以後者水魚のことくし、勝家の指圖をうけ申, へしとありけれは、四人の人々よろこふ事はかきりなし、かくて四人の衆, 登可申候へ共、各御越被成上は、諸事よろしかるへしとて、其身は長濱に殘, りける、前田、原、不破、金森は、十一月二日に山州寶寺にいたり、秀吉公へ右之, 心底趣御盟の一通、互に取かはし可被下やとおしかへし〳〵被申けれは、, 之趣一々語りたまへは、尤よろしかるへしとて、船馳走申、我身も同船し罷, 公乃御取立の老臣とも多し、來春廻文をまはし、佐々、柴田、池田、瀧川、丹羽氏, り、何事も勝家の下知にしたかふへし、今度各勝家殿と我等と和睦の儀被, 徳寺惣見院へ參、追善なとして、十一月八日には北の庄へ歸、秀吉の御請の, 利家等八, 著説, 日北庄歸, ヲ與ヘズ, 利家等秀, 秀吉勝家, 秀吉誓紙, ハントイ, ノ命ニ從, 吉ノ誓紙, ヲ求ム, フ, 天正十年十一月二日, 九一六

頭注

  • 利家等八
  • 著説
  • 日北庄歸
  • ヲ與ヘズ
  • 利家等秀
  • 秀吉勝家
  • 秀吉誓紙
  • ハントイ
  • ノ命ニ從
  • 吉ノ誓紙
  • ヲ求ム

  • 天正十年十一月二日

ノンブル

  • 九一六

注記 (29)

  • 655,658,69,2211秀吉聞たまひそ、尤其儀よろしかるへし、此方より願ふ〓を所なり、併信長
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