『大日本史料』 11編 3 天正10年12月 p.543

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〓る故、謀計もあらんと、こなたにもしはし考へ見るに、扨は兵粮責の手立, ならんと見へはれは、遠藤勢案に相違して、此上は討死の覺悟にて打て出, こし追取卷、井上治左衞門は、鑓を以無二無三に〓立〳〵貳三人も〓留る, 藤慶隆、遠藤胤直、村山三右衞門二手になり、弓を以散亂の中へ、透をあらせ, ず射返しられは、數多手を負ひ〓れ共こなたの軍勢に大勢討取られ、亂軍, るを幸ひと〓立る、敵大勢に手を負せはれとも、池戸與十郎數ケ所の手疵, るより外なし、さりながら計略に落入るも殘念なり、如何はとためろふ處、, 敵勢井上治左衞門を取圍み、散々に切付、終に討死、池戸與十郎か鑓先に當, 蝕取喜六郎、石井彌五郎、松井忠兵衞追々に馳向ふ、先勢に散々に亂も立た, にて、半死半生の處、富永主膳、池戸與十郎が胸先を鑓にて〓留、終に討死、遠, を構へ、馳集り、評義區々の所、翌朝に相成、遠藤勢手配りせんと思ひの外、敵, となつたる處、はや夕暮となれは、双方ともに引續す、遠藤勢は橘山に陣所, 勢は八方に備へを立、多勢を以橘山を追取卷、相固々れは、兩遠藤軍勢手勢, を揃へ打出んと思へ共、敵大軍にて取卷き、鎭りろへつて透間もなく固め, る其中に、山の手さ一むまとつと引退し、井上治左衞門、池戸與十郎遣りす, 卷ク, 橘山ヲ取, 大軍ニテ, 天正十一年圍正月十二日, 五四三

頭注

  • 卷ク
  • 橘山ヲ取
  • 大軍ニテ

  • 天正十一年圍正月十二日

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  • 五四三

注記 (20)

  • 500,569,67,2178〓る故、謀計もあらんと、こなたにもしはし考へ見るに、扨は兵粮責の手立
  • 380,564,66,2189ならんと見へはれは、遠藤勢案に相違して、此上は討死の覺悟にて打て出
  • 1663,570,68,2191こし追取卷、井上治左衞門は、鑓を以無二無三に〓立〳〵貳三人も〓留る
  • 1203,560,69,2187藤慶隆、遠藤胤直、村山三右衞門二手になり、弓を以散亂の中へ、透をあらせ
  • 1085,563,70,2191ず射返しられは、數多手を負ひ〓れ共こなたの軍勢に大勢討取られ、亂軍
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