『大日本史料』 11編 3 天正10年12月 p.691

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跡部大炊助某ろ女、, なり、二十一日、諸軍を下知して城をさむ、城中つゐに和平を請により、戰, 今佐久郡のうち十にしだ七八を平均す、唯小諸、岩尾の兩城を乃こす、明, 遁る、しろれとも信蕃はしめ塀を乘のとき、敵鐵炮に二玉を籠、近く倚だ, 城壁を破る、城主岩尾小次郎某防禦の術を失し、たゝちに走りて關東に, 日わろ勢をもつきこれを拔む、御邊はあへて兵を動かすことなろ〓と, 全つらさるものあるへし、よりて今信福か譜にしたつふ、寛永系圖信蕃, 信幸母き某氏、嫡流系圖源八郎正明に作るといへとも、庶流に至りては, 日、柴田康正を引て田口城に登り、四方を顧視して、康正に示していはく, 軍勞を慰す、十一年二月、信蕃前山乃城より兵を發し、岩尾城をせむ、二十, 郎信幸とともに、士卒にさをたちて城塀を乘、諸士こもをみだ、たちまち, 急に放の、この玉、信蕃か臍下を貫く、陣營にかへり、こまを療すといへと, むをとゝむといへとも、其日和平ならす、二十二日、また城を圍み、弟源八, も愈す、二十三日卒す、年三十六、節叟良〓蕃松院と號す、田口城下に葬る、, のちこの所に一寺を建立して、蕃松院といふ、寺領二十石を寄らる、室は, 信蕃ノ法, 信蕃歿ス, 攻ム, 岩尾城ヲ, 名, 天正十一年二月二十二日, 六九一

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  • 信蕃ノ法
  • 信蕃歿ス
  • 攻ム
  • 岩尾城ヲ

  • 天正十一年二月二十二日

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  • 六九一

注記 (22)

  • 517,632,58,562跡部大炊助某ろ女、
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