『大日本史料』 11編 3 天正10年12月 p.692

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蕃にしたろひ、遠江國二俣乃奧小川に潜居す、六月、織田右府事あるによ, 北條の兵とたゝろひ忠を勵ます、其後信蕃とゝもに岩村田乃城を攻て, り、伊賀路を歴て還御ありとやゝ、御迎としてはを參るのところ、すてに, 國市川の御陣營にいたり、はしめ〓東照宮にまみとたてまつる、のち信, ろ弟に、依田下野守信吉を係、其男を伊賀守信幸とし、岩尾の城攻に、兄信, 三河國に著御ありしかは、すなはち御供に列して、岡崎城にいたる、のち, 蕃、弟信春と一所に討死といふ、その傳文によるときは、信蕃ろ弟に係し, するに似たり、故にこれをあらとむ、, 〳〵戰功あり、天正十年、勝頼沒落のゝち、兄右衞門佐信蕃とゝもに、甲斐, これを拔、御感状を下さる、十一年二月二十二日、信濃國佐久郡岩尾城を, 信吉き、信蕃ろ父の下野守信守か事にして、そのかみの系圖世系を錯置, 信幸依田下野守信守ろ三男、母は某氏、武田信玄をよひ勝頼に仕へ、しは, 〔寛政重修諸家譜〕, 信幸, 依田, 信守, 天正十一年二月二十二日, 二郎、肥前守, 初信盛、六郎, 源八郎、伊賀守、今の呈譜, 三百五, 信行或は幸慶に作る、, 十七, 依田信幸, 六九二

割注

  • 二郎、肥前守
  • 初信盛、六郎
  • 源八郎、伊賀守、今の呈譜
  • 三百五
  • 信行或は幸慶に作る、
  • 十七

頭注

  • 依田信幸

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  • 六九二

注記 (25)

  • 626,641,68,2127蕃にしたろひ、遠江國二俣乃奧小川に潜居す、六月、織田右府事あるによ
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