『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.72

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

に、さわなくて、次之廿一日に賤嶽を可責とて、, を驚す事無限、又明日は賤嶽をせめをとさるゝ事治定なるへし、さあら, 黒田山之城に取懸て、息を吹草もなく、ひたせめにせめらなゝ、午の刻に, 終夜るむ〓もなく、はやたくさてよと云計に候つる、, はと、かちになるべき〓うたかいなしなとゝ、聲をひそめてさゝやく事、, 柴田勢と三里ほど隔り、壹里半程の中途に篝火を焚する、玄番案に相違, 責落、城中にこもりたる人數、大將を初壹人も不殘うち死す、寄手にも手, より人數を押上て山、峯通南を指て押越て、しつかたけをも東向打越て、, 一味方之城々に籠居たる人々上下共、今日之佐久間殿城責の躰を見て、目, して無了簡、明朝及合戰、太閤時分よしと察知し、ゆるすそ小姓とも、心次, 負人多りと申候つる、扨佐久間殿先々御本陣へ引取らるゝかと見る處, 第にかせき候へと仰らる、則此節七本鑓の働有之候、, 〔賤嶽合戰記〕柴田玄蕃敵陣へ中入之事, して、河置山と東野山手當之勢を立置て、佐久間玄蕃殿は池原山之尾先, 天正十一年四月二十日, 〔江州余吾庄合戰覺書〕一其後少程有て、四月廿日之早朝に、北ゟ人數を出, 山トニ備, 山ト東野, 歡喜ス, 山陷落ス, ノ陣ヲ夜, 午刻黒田, 襲セント, 盛政秀吉, 勝家ノ兵, 勝家河置, セリトノ, 説, 七二

頭注

  • 山トニ備
  • 山ト東野
  • 歡喜ス
  • 山陷落ス
  • ノ陣ヲ夜
  • 午刻黒田
  • 襲セント
  • 盛政秀吉
  • 勝家ノ兵
  • 勝家河置
  • セリトノ

ノンブル

  • 七二

注記 (29)

  • 742,707,63,1354に、さわなくて、次之廿一日に賤嶽を可責とて、
  • 509,699,62,2136を驚す事無限、又明日は賤嶽をせめをとさるゝ事治定なるへし、さあら
  • 1096,705,60,2128黒田山之城に取懸て、息を吹草もなく、ひたせめにせめらなゝ、午の刻に
  • 277,704,57,1572終夜るむ〓もなく、はやたくさてよと云計に候つる、
  • 394,714,56,2141はと、かちになるべき〓うたかいなしなとゝ、聲をひそめてさゝやく事、
  • 1797,702,62,2134柴田勢と三里ほど隔り、壹里半程の中途に篝火を焚する、玄番案に相違
  • 977,700,64,2132責落、城中にこもりたる人數、大將を初壹人も不殘うち死す、寄手にも手
  • 1213,705,62,2151より人數を押上て山、峯通南を指て押越て、しつかたけをも東向打越て、
  • 623,644,64,2191一味方之城々に籠居たる人々上下共、今日之佐久間殿城責の躰を見て、目
  • 1682,705,61,2126して無了簡、明朝及合戰、太閤時分よしと察知し、ゆるすそ小姓とも、心次
  • 860,699,61,2134負人多りと申候つる、扨佐久間殿先々御本陣へ引取らるゝかと見る處
  • 1566,705,58,1571第にかせき候へと仰らる、則此節七本鑓の働有之候、
  • 141,593,98,1236〔賤嶽合戰記〕柴田玄蕃敵陣へ中入之事
  • 1329,706,63,2131して、河置山と東野山手當之勢を立置て、佐久間玄蕃殿は池原山之尾先
  • 1917,716,46,426天正十一年四月二十日
  • 1428,573,104,2270〔江州余吾庄合戰覺書〕一其後少程有て、四月廿日之早朝に、北ゟ人數を出
  • 1307,271,39,170山トニ備
  • 1350,270,39,169山ト東野
  • 599,267,38,119歡喜ス
  • 1084,270,40,161山陷落ス
  • 1818,277,37,162ノ陣ヲ夜
  • 1130,270,39,167午刻黒田
  • 1777,270,38,164襲セント
  • 1861,271,45,169盛政秀吉
  • 643,267,42,169勝家ノ兵
  • 1394,270,43,169勝家河置
  • 1735,276,33,155セリトノ
  • 1686,270,41,39
  • 1917,2444,41,72七二

類似アイテム