『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.87

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猶〓て出防戰、時に中川九郎次郎、, 秀の牀几の前にかき出す、時に清秀氣付を取出して與へ、平八以下に下, よと、鑓を投捨討死す、敵六人にて鑓すけけると云り、其外の諸士思ひ思, し、とく〳〵本丸に取籠り、心靜に自害有へしと云、清秀云、我今日乃軍功, 坊智半、臺所人十餘人、小人廿餘人、此外雜兵三百人計なり、, ひに討死す、熊田孫七精兵にて、羽中に假名を記し、木戸口ニ唯一人居留, 諸人の見る所耻かしからす、縱雜兵の手に討死すとも耻ならす、一人に, り、多勢を射拂に、あた矢一筋もなし、〓破れて指の肉切とりと也、其後四, 知して云、我今日討死と定たる軍なるに、何とて敵に首をはとらせさる, 殺す、其後中川淵之介、清秀と名乘り、敵多く討取、其後某を討て高名にせ, ても敵を討取事本望也と云り、しかれ共八度目には、清秀本丸に於て自, 角八方を切廻り、竟こ討死す、此とき討死の者共、中川淵之介、熊田孫七、同, 味方過半討死す、雜兵の手にかゝり討死も如何也、某此にて防討死すへ, 兵部、同三太夫、森本道徳、山岸監物、杉村久介、森權之助、鳥養四郎太夫、玄正, 一清秀討死の刻、太田平八、中川淵之介首を敵にとらせしと肩に引かけ、清, 清秀の鎧の袖を扣へ、, いヘとも未分明、, 淵之介の事也と, ノ戰死者, 清秀ノ最, 清秀部下, 期, 天正十一年四月二十日, 八七

割注

  • いヘとも未分明、
  • 淵之介の事也と

頭注

  • ノ戰死者
  • 清秀ノ最
  • 清秀部下

  • 天正十一年四月二十日

ノンブル

  • 八七

注記 (24)

  • 1924,684,62,995猶〓て出防戰、時に中川九郎次郎、
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