『大日本史料』 11編 5 天正11年8月 p.876

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門、關甚五兵衞次持也、, の朧夜に、坂下水手ゟ、勝入父子十艘の舟に乘て、川を渡しそ城へ忍むい, 大垣をば秀吉へ渡し々れは、勝入は犬山えうつり、岩倉邊を燒動す、, こは、小牧山は尾張の國の〓中なり、取とるかた軍に可勝之地利也、是へ, 取、同十四日、近邊の仕置申付、十五日、勝入父子打出、小牧近邊放火す、, 死す、此折を幸としそ、犬山の町人に金銀をあたへ内通させ、三月十三日, 中川勘右衞門私の意趣こそ討死す、一説こは、長嶋こて池尻平右衞門が, 一信雄公、家康公御兩人は、十四日の夜清洲こて軍御評定あり、家康公御意, 爲に被〓と云々、峰の城番手也、峯ハ佐久間將監か持たる也、中川勘右衞, る、凱歌を唱へ々れ、城中周章處を追つめ討取也、勘右衞門か伯父清藏主、, 無比類働き討死す、翌十四日、池田勝入父子に、稻葉一鐵相加り犬山に入, 持なれとも、中川勢州の番手に行き、歸の路次こて、私の意趣こそ討きそ, 吉へ忠節として、尾州へ手遣ひしたり々る、犬山の城は、中川勘右衞門か, かゝりしかは、勝入美濃大垣に在城し、秀, 打出城をこしらへ、秀吉下向とば對陳可致也、告明日大物見を可出と被, 天正十二年三月十三日, ○中略、勝入、秀吉ニ屬スルコト, ニカヽル、本月十日ノ條ニ收ム, 稻葉一鐵, 勝入ニ加, 八七六

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  • ○中略、勝入、秀吉ニ屬スルコト
  • ニカヽル、本月十日ノ條ニ收ム

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  • 稻葉一鐵
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  • 八七六

注記 (21)

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