『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.124

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金左衞門咄申候事、, 以て責候よし申さしかは、秀吉公あしをたう〳〵とぬみならし、柴田一, 馬あつて、濃州大祐に著陣し、同十九日、到岐阜おしよせ、可攻干との用意, 類こと〳〵く誅伐の時今にあたれり、是天の御めり〓成と打わらひ、即, 立らるゝよし注進あるによつて、秀吉公卯月十七日早天に、江州長濱出, 里に及へり、いつもの達者をした初とも、今度は就中天下わけめの合戰, 廿日、午の刻飛脚到來し、志津嶽中川瀬兵衞か要害、佐久馬玄蕃允大軍を, な於け〓と、夜半よ初雨おひたゝしく降〓きれは、其日は用捨被成處に、, 田三七信孝、秀吉と和睦之契約を變さら〓、瀧川、柴田と被仰合、〓の色を, 仰候、あんのとく鳥うたひ時分ゟ、玄蕃陣取さわぎ申ニ付、御味方彌競、早, 時大枋をうつ立たまふ、虎之助所存には、これよ李志津か嶽ま〓は二十, 夜の内ニ首を取申候、明而度々せり合御座候而、破軍に成申候、是は伊藤, 秀吉公勢州表之仕置被仰付、龜山の城よわ江北さして御出馬、然處に織, かれは、すふたゝすはいかにおもふとも、なけくとも、はたらき心に叶ま, 〔清正記〕〇肥後一於江北柴田修理亮勝家出張之旨注進あるによつて、, 天正十一年四月二十日, 後一於江北柴田修理亮勝家出張之旨注進あるによつて、, 肥後, ヲ攻メン, トシ洪水, 衞門, 日岐阜城, 秀吉十九, ニ依リテ, 伊藤金左, 果サズ, 一二四

割注

  • 肥後

頭注

  • ヲ攻メン
  • トシ洪水
  • 衞門
  • 日岐阜城
  • 秀吉十九
  • ニ依リテ
  • 伊藤金左
  • 果サズ

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  • 一二四

注記 (27)

  • 1550,691,59,566金左衞門咄申候事、
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