『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.168

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んなれ、, なかりける、誠に玄番勝家の下知にもしたかわす、勝にのりしゆへ、はか〻, 身は狐塚まて陣を寄、人數を賤ケたけへ越されけるか、味方の軍大にやふ, 御褒美被成ける、櫻井は七本の外也、扨北國の勢しのおか〓て見へしに、時, れ、追討にうたるゝをみて、近習の者共にむかひ、我爰にて腹切へし、汝等は, 兵共二手にわかり、思ひ〳〵に追行、爰の谷合にておしならへて組も有、か, も有、其分野はおひたゝし、賤ケ嶽近邊は、敵御方の死骸にて、駒のふみとも, いたはしや勝家ぬ、玄番下知にしたかはすして、賤ケ嶽表をひかされは、我, 分はよきそと心得、堂木山よりは蜂須賀、木村、小川、大金、東野山よりは堀、賤, しこのつまりへ追詰て討もあり、又北國勢ぬみとまり、火花をちらし戰ふ, かゝり、鹽津七里半山中道へ退も有、四方八方へにけ散けるを、秀吉方の軍, ケ嶽よりは申におよはす、木戸を開き、時を作り切て出てける程に、北國勢, にく〓き方を忘れ、同士討するもあり、柳ケ瀬海道へにくるも有、峯通りへ, 〻しく一戰もなくして、かく慰々乃軍兵とも、追うちに討まけるこそむさ, 毛受庄介、勝家に代り忠死の事, 天正十一年四月二十一日, 果々シキ, シテ敗軍, 四散ス, 戰モナク, ノ堀秀政, 等モ攻撃, 勝家ノ兵, 堂木山ノ, 蜂須賀正, 勝東野山, 勝家死ヲ, 決ス, ヲ始ム, 天正十一年四月二十一日, 一六八

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  • 果々シキ
  • シテ敗軍
  • 四散ス
  • 戰モナク
  • ノ堀秀政
  • 等モ攻撃
  • 勝家ノ兵
  • 堂木山ノ
  • 蜂須賀正
  • 勝東野山
  • 勝家死ヲ
  • 決ス
  • ヲ始ム

  • 天正十一年四月二十一日

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  • 一六八

注記 (31)

  • 642,630,47,210んなれ、
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