『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.445

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れなりし事どもなり、, 太田新右衞門尉なみだを押へて介錯し奉る、, 今の節にのぞみ、城中にとゞまる事名譽といふもあまりあり、信孝此うへ, は是非に及ばず、敵の心にまかさんと〓、岐阜の城をむらき、尾張の國へお, もむき、同廿九日、野間の内海におゐて生害し給ふ、行年廿六歳なり、信孝取, まあらだ、いづれも一騎當千の勇侍、をの〳〵城を落行きとり、, 新右衞門、小林以下わづかに廿七人なり、彼太田は神戸侍なりしが、近習の, 甚兵衞は、神戸の住人石塔鍛冶但馬守國助が子なり、本武家にあらにして、, りし事おもひ出され辭世の歌を詠じ給ふ、, 後に及て、むかし長田庄司忠致が、此所にて主君左馬頭義朝を討uてまつ, よしみをわすまだ、一族にうむき、此節儀を守る事、尤勇士の本意也、又小林, 其後岐阜の城には、近習外樣の人々、いづれも落ちりて、殘るともづら太田, 〔細川忠興軍功記〕一秀吉公越前御仕廻被成、岐阜へ御歸陳被成、頓而御あ, 昔より主をうつみの野間なれはをはりを待や羽柴筑前, 信孝生害の事, あは, 彦右衞門介錯トアリ、, ○勢志軍用記ニハ、幸田, 小林甚兵, 衞門, 太田新右, 四月二十, 九日信孝, 生害説, 衞, 天正十一年五月二日, 四四五

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  • 彦右衞門介錯トアリ、
  • ○勢志軍用記ニハ、幸田

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  • 小林甚兵
  • 衞門
  • 太田新右
  • 四月二十
  • 九日信孝
  • 生害説

  • 天正十一年五月二日

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  • 四四五

注記 (27)

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