『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.175

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らくり付て、同五月上旬ニ、島原、安徳兩津より順風に帆を揚て、佐敷の湊, り、地神各來現する計也、是を見聞人々者、無念無相と成にけり、頃は彌生, に著船し、諸軍兵一同に御太將義久樣ニ御目見被成は、御悦だ増りける、, 卒都婆を押立て、御經讀誦し給へは、虚空ニ響く聲名に天人はあまくだ, かの島原の合戰に、隆延を始と〓、數萬騎の者共の戰死をいたす志シ、其, の下旬にて、春風にたなびける霞哉雲の間ゟも、幡手の數の亂るゝは、上, 隅日州肥後の國ニ至る迄、諸寺家の御僧衆來〓、大小船ニ乘り浮ひ、まと, 弔を被成んと被仰付ける間、福昌寺の十八世代賢大和尚を始め奉り、薩, もの風に帆を懸て、島原の津に著岸して、貳千餘僧ぬ行道し、三拾杖の高, 粧と、亦は目連尊者の地獄化度之結縁も、今爰に見當ぬ、則成佛者無疑と、, 上下萬人こ至迄、感〓を流し宛、恭敬拜見申す也、此趣を傳へ聞、諸國の人, 龍と下龍と守護給かと見る事は、誠に靈鷲山にして釋迦牟尼如來之行, 心を寄ぬ人はなし、去間圖書頭久長押並て、又四郎此外之軍兵も、各々衆, 儀して安徳城へ打歸り、大村、平戸、西浦衆、三池、小代、やわに島原萬方をか, 來の郡司有馬方が拜領し、忝き仕合を、諸國之大名小名も、世上之耳目に, 天正十二年三月二十四日, 福昌寺代, 賢等島原, 義久ニ歸, 等ノ諸氏, ニ渡リテ, 大村平戸, 供養ヲ行, 屬ス, 代等陷ル, 一七五

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  • 福昌寺代
  • 賢等島原
  • 義久ニ歸
  • 等ノ諸氏
  • ニ渡リテ
  • 大村平戸
  • 供養ヲ行
  • 屬ス
  • 代等陷ル

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  • 一七五

注記 (26)

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