『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.613

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可然候はんと、稻葉一鐵, 身を御離し不被成候、此枕を人々ニ名を御付させ被成候得共、御氣に, 不入候を、清巖和尚樂只と御附候を御用被成し也、於八代御逝去の節、, は友崩也、騷く〓からすとて、御手の人數立堅メ、忠興君本陣へ至らせ候, らを候、家康公は晝の働御仕舞候て、小牧表心元なく思召御歸陳ありし, も側散り〳〵に成りけるを、忠興君此有樣を能く〳〵御見分ケ被成、是, 早日も暮ニ及ひ、敵も取合さる體ニ見へ候間、柏井まと御馬を入まらま, の勳功無比類由、御感状被下候、, 故、秀吉公の旗本も次第ニ靜り候也、此事甚タ御感有て、今朝青塚に於て, を、味方は不知之、道暗ふして木の影草の内ニ屈み、野を押し廻り候を、敵, の高名、今晩諸勢騷き告て候に、壹人の功を以諸軍踏留め、日の内に兩度, 此感状は、忠興君爲家寶、御平生の御枕の内ニ入れはりこみ、御一生御, 方の人數慕ひ來ると心得、騷き立て崩立つ輩も有しかは、旗本前後の衆, 御遺言ニ任せ、御葬送の場ニ而是を燒失す、御隱居後の仰に、越中は越, を始として、各諫め申けれは、其旨にまのせ, ふ比は、日もはや西山ニかゝりしか共、尚小幡へと馬を早められ候を、取, 大正十二年四月九日, 一本, 一哲, 秀吉忠興, 秀吉ノ軍, 與フ, 友崩ス, ニ感状ヲ, 大正十二年四月九目, 六一三

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  • 一本
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  • 秀吉忠興
  • 秀吉ノ軍
  • 與フ
  • 友崩ス
  • ニ感状ヲ

  • 大正十二年四月九目

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  • 六一三

注記 (26)

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