『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.819

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須賀、榊原の人數勵し合、先へ〳〵と出る故、終に追過候、久太郎は馬上一, 大須賀、奧平、丹羽淺追來り候、大將達は、るれ長追すなと被申候得とも、大, 町程も引寄③打〓し、我等か下知を待と云志、待志居る所へ、榊原小平太、, の方へ逃るもあり、小幡の方へ逃るもあり、二分けに成る逃る、大須賀、榊, 父子三人、森武藏へ取る歸す、, 衞來り、秀次敗軍を爲知候ニ付、秀次を可見習とる、勝入、紀伊守、三左衞門, 〓③拂ひ退に退く、刻限は五ツ時ニ而も有〓し、, 小平太は馬上にふ長刀を後へさたになき拂なから退、大須賀も鑓を持, へ行たん〳〵しらする、久太郎思ふに、使番の來るへき所へ、番頭久兵衞, 來るは、散々の敗軍と思ふ、然はと●小高き所へ上り、むけと鐵炮打る、十, を、久太郎見すまし、それ懸れと討る懸る故、其まゝ崩れ追返し、立泉寺川, 原、水野〓兵衞、本多豐後守、岡部彌次郎等悉く追破られ候、餘り勵しさに、, 騎討は百石可遣といひなあら、備をたふ待居る所へ、追過來りしらむ所, 一勝入は岩崎を攻落し、ウキウ原にあ目出度と酒盛をする所へ、田中久兵, なし、逃③來たかといふ、久兵衞、剛臆は不知、敗軍をしらすなといひ捨、先, 天正十二年四月九日, 長久手ノ, 戰ニ參加, 奧平信月, ストノ説, 天正十二年四月九日, 八一九

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  • 長久手ノ
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  • 天正十二年四月九日

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  • 八一九

注記 (22)

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