『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.942

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者也、, の作といふ事をしらす、漸蟲はめり、余これを改まく思ふ折ふし、戰場一見, 也、加之城跡砦跡、將卒往來の路程に至るまて殘す處なし、しかれとも誰人, 器の中におゐ〓、一軸の軍記を得たり、要を摘え、合戰の有樣をしるす事審, て弔ひ、自首塚と名つけ給ふ、夫より既に百四十年の星霜を經たり、先年余, 石あり、門前の野に首塚あり、ひそかに思ふ、唯一寺の靈跡乃みかは、又古戰, 場のほま〓ある地なり、當山に傳へ來る由緒記録なからんやと、果して古, へ、その助をまいらせむといふ、よつて其志を感し、その趣をしるし殘し置, 進山之砌、伽藍界を徘徊するに、恰も四神相應ま境況也、殿後の山に御床机, 乃士ふたり三人伴ひ來り、余か言を聞、軍記の損せるを見て、速に修補し給, 〔池田紀伊守入道勝入畫像〕, 享保三年尾〓愛知郡岩作村, ○以下池田勝入、同元助、森長可ノコトニカヽル、, 享保三年, 尾〓愛知郡岩作村, 戌六月久岳山安昌寺住持慈霖記, 戌六月, 久岳山安昌寺住持慈霖記, 護國院殿雄岳宗英大居士, ○越後保坂, 潤治氏所藏, 勝入ノ畫, 十翰知哲, 像, ノ贊, 天正十二年四月九日, 九四二

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  • ○越後保坂
  • 潤治氏所藏

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  • 勝入ノ畫
  • 十翰知哲
  • ノ贊

  • 天正十二年四月九日

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  • 九四二

注記 (27)

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