『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.379

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鼠なとこと〳〵しく集り來て、女子共は敵より是に難儀して、絶入者多か, かは、即木曾川を分てなかし入給ふに、日々にみかさ増とは見え侍らふと、, 大坂歸城まし〳〵けり、, りけり、源六拘りかたくや思ひけん、一命を助被下候へかしと、達而申上し, 日數るう〳〵積りぬれは、町屋ははや三尺餘水湛へ、床をかき有しなり、蛇、, 通計に小屋をか〓らる、其勢十万騎乃著到なり、此勢を以、堤の町場を定め、, かは、即被助一命、城を請取、一柳市介を城主となし入をかれけり、其より多, はゝ十五間に、上にて六間之廣さと被仰出けり、五六日に大かた出來せし, 藝表へ御馬を寄られ、直江村を要害として、丸毛三郎兵衞を入置給ふ、其邊, 之水攻にし給ふへき旨、十一日の夜相極、四方に町屋作りに小路〳〵を十, 仕置等堅く丸毛に被仰置、六月十三日、御歸陣に赴かせ給ひ、同十六日、至于, にして見たまふに、水堀幾重共なく引廻し、一旦に攻らるへうも見えす、依, 〔太閤記〕九秀吉卿十二万騎乃勢を打納給ふ事, 同十日、不破源六居城竹鼻におしよせ、遠卷, カヽル、五月七日ノ條ニ收ム、, ○上略、加賀野井落城ノコトニ, ノ條二收ム, 六月十六日, 多藝ニ出, 坂ニ歸ル, 十六日大, トノ説, 大正十二年六月十日, 三七九

割注

  • カヽル、五月七日ノ條ニ收ム、
  • ○上略、加賀野井落城ノコトニ
  • ノ條二收ム
  • 六月十六日

頭注

  • 多藝ニ出
  • 坂ニ歸ル
  • 十六日大
  • トノ説

  • 大正十二年六月十日

ノンブル

  • 三七九

注記 (24)

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