『大日本史料』 1編 22 寛和元年正月~3月 p.286

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其より東一里はかりふもとに一の澗溪有、むかし、飯櫃童子老仙と化して、慈覺大師, るに、一夜うちまとろみ給ふ、御夢に程なく座主に任し給ふへきよしみ給ふ、さめて, に飯供を奉りし所なり、其よりそ谷を飯室と名付、寺をは寶滿とそ云ける、師地の平, らかなるを愛してすませ給へは、右大臣殿、妙香院といふ御寺つくらせ給ひ、かたは, らに彌陀千佛のおましをすへ奉る、いときよらにて、御前に四十八燈をともし給ふ、, みては、詞を爭ひ智を鬪ふ、事にふれつゝ、とかををかすことあまたたひ也、名は衒, 論決義のともから永く三毒をはなれしめ給へとなり、六願は六即になすらへ給ふとな, 名にゝたりといへとも、内は弘法の思ひを專らとす、願は、諸佛頑質を擁護して、交, とおほしけるとそ、天暦三年の比かとよ、六願を發し給ふ、その中に、我十二三はか, その光煌々として、因陀羅網の山川の陰をましふるかことし、燈の數によそへ、四十, 八所の庄薗を膏油の地として、此寺によせ給ふ、暗よりくらきに入なん道のひかりに, りより、菩提心をおこすといへとも、老母いますか程朝夕の孝養により、論場にのそ, ん、おなし四年、楞嚴院にして、三百日の程護摩を修し給ふ、やう〳〵結願に及ひけ, 後おほしけるは、諸佛の利生は人の願にしたかふへし、然るに、我現世の榮進さらに, 寛和元年正月三日, 師輔四十八, 料ニ寄ス, 所ヲ膏油ノ, 寛和元年正月三日, 二八六

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  • 師輔四十八
  • 料ニ寄ス
  • 所ヲ膏油ノ

  • 寛和元年正月三日

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  • 二八六

注記 (20)

  • 1831,681,65,2182其より東一里はかりふもとに一の澗溪有、むかし、飯櫃童子老仙と化して、慈覺大師
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