『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.858

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に、天長四年、自山禪頂道踏分と見え、文明十八年の回國雜記に、自山禪, 定し侍りて、三の室にいたり侍るに云々、名所方角抄に、駿河國富士山, 言資胤、元名宣光、改宣泰、又資胤、寛永三正十七薨、五十八、, と被申、定而七社の垂跡の由緒あるへし云々、, 正親町天皇宣旨也、左少辨宣光、中御門家十二代也、知譜拙記云、權大納, 被申は、白山權現一躰ノ事なれは、白山禪頂と同シ、權現と可訓ものと, 名禪定、住有徳大明神、即號正一位白山妙理大井、其本地十一面觀自在, 井なとゝありて、山頂をは禪定とも禪頂とも呼へり、故に同記に、禪頂, 先年京都こて、去公家ノ御家禮と出合候時、彼仁文才あるよし也、此仁, 原書白山元長吏三上氏所藏、, 被申候、子細は則禪頂は奧院、下白山は垂跡比昨神社たれは、本地垂也, 一白山長澄意ノ白山問答云、白山禪頂、同權現と綸旨御文言ノ謂如何、答、, 平次按に、白山禪頂は白山嶺上の神祠なるへし、白山記に、白山其山頂, 六月一日より上十日の程に、禪定をする也、又越中立山禪定といふ事, 座主始一蓮君唯佛四代、本京人也といふことを載たり、又日本運上録, 天正十二年七月二十八日, 八五八

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  • 八五八

注記 (17)

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