『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.859

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なる事知られける、, ひたりしと聞ゆ、されは白山禪頂は嶺上の事也、同權現は嶺上の神祠, 又前顯天正十二年の綸旨に載られたる白山七社惣長吏法印御房と, 登嶺して、嶺上をは禪定苦修場とせし故に、彼神祠をも禪頂權現と呼, 五年八月廿三日、七十六歳こて遷化すといへり、按に、兼秀卿は知譜拙, 禪定より起たる名目にて、古令の僧尼令に、凡僧尼有禪行修道、意樂寂, 道をは、禪定道ともいひたる由、古記録に往々見えたり、もと佛家の四, ある長吏は澄勝也、此澄勝は實廣橋大納言兼秀卿の舍弟こて、慶長十, 定ともいひ、その嶺上に登る事をも、禪頂すとも、禪定すともいひ、その, 記に、號如雲院、弘治三内大臣從一位、永祿十年八五薨、六十二とあり、, 靜、不交於俗、欲求山居服餌者云々とある、義解に、謂禪靜也とありて、自, 者相隨、餘無人四年、苦行之輩相〓來、漸成多衆とありて、泰澄の徒常に, 山禪定は所謂泰澄神融禪師より始れり、元亨釋書泰澄傳に、澄乃登白, 山天嶺絶頂云々、また澄居此嶺、苦修盆勤、神異彌著、居三年、臥淨定二行, も見えたり、すへて富士、白山、立山なとの高山の嶺上をは、禪頂とも禪, 天正十二年七月二十八日, 澄勝ハ廣, 橋兼秀ノ, 弟, 天正十二年七月二十八日, 八五九

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  • 澄勝ハ廣
  • 橋兼秀ノ

  • 天正十二年七月二十八日

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  • 八五九

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