『大日本史料』 11編 10 天正12年10月 p.363

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り、是より家康へ飛脚を以申達しけれは、駿州府中まて乗馬五十疋、傳馬百疋むかひとし, 事のうれしさに、あんないをもせす入しかは、老たる樵夫膽を消し、是は変化の物そか, うしけり、越中外山之城を十一月廿三日に出て、十二月朔日午の刻に上之諏訪に着しな, 心さしを天感し給ふにや、思ひの外やす〳〵と麓の里に着にけり、民のかまとに立入ん, かく義を守り、信を厚くせしに依て、秀吉卿とは不和にそ成にける、其後信雄卿与秀吉, し、今此雪中に人間のわさにはあらしと不審しあへりぬ、小姓之長建部兵庫頭と云し者、, し上、これかれ評議を盡し、則令請暇、又深雪に山路をたとり〳〵、越中に立歸りけり、, よ、汝等心やすくあらんほと引出物給へしと云しかは、それよりいとねんころにもてけ, 筑前守秀吉を討亡し、信雄卿被達御本意候樣に相議し、翌朝打立清洲之城に至て御礼申, て被仰付、宿等に至るまて一として不如意なる事露もなきやうに、徳川殿沙汰し給ひし, 卿和睦有しかは、佐々かひなき義を守り、何事も徒になつて、越中四郡を三郡羽柴肥前, に依て、雪中之労苦を忘れつゝ、十二月四日遠州濱松之城に至り、家康卿へ對面し、羽柴, 〳〵なり、いさ煙を心あてに下り見むと、かんじきと云ものに乘ておとしけれは、眞忠の, いやとよ越中より信州深志邊へ心さす人にて有そ、宿をかしまいらせ、道の案内をもせ, 天正十二年十二月二十五日, 二著ストノ, 清洲ニ到リ, 同四日濱松, テ信雄ニ〓, 三日ニ發ス, 十二月一日, 諏訪ニ著ス, 十一月二十, 越中外山ヲ, ストノ説, 説, 三六三

頭注

  • 二著ストノ
  • 清洲ニ到リ
  • 同四日濱松
  • テ信雄ニ〓
  • 三日ニ發ス
  • 十二月一日
  • 諏訪ニ著ス
  • 十一月二十
  • 越中外山ヲ
  • ストノ説

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  • 三六三

注記 (27)

  • 1001,622,59,2235り、是より家康へ飛脚を以申達しけれは、駿州府中まて乗馬五十疋、傳馬百疋むかひとし
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