『大日本史料』 11編 13 天正13年正月 p.4

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

綱公此上は諸一族の異見をも不聞、其夜の丑ノ刻計リ密に在番の諸侍を召され、右趣被仰, なし、斯て飛駒の寄居には多田舍人・同右馬之介・遠藤駿河・岩下主計・藤倉丹波・影山, をそんじ、面色かわりて見へさせ給へは、武重かさねて兎角可申上樣なく退出〓けれは、宗, 方ノ守禦ヲ構て御進發候はゝ、正サ鋪勝利とこそ覺へ候と申上れは、宗綱公以の外ニ機嫌, 名草の芳賀右衞門半月の旗を指〓一散に馳來ル、宗綱後陣を省給へとも續く味方もなかり, 縫殿・和泉新重郎以下遠見の役にて居たりしか、兎角佐野さわかしくおほへけるゆへ、元, 歩ける、人々危ク思ふところに、かき化ス如ク失せにける、是を見る人忌おもわれさるは, ける處二、寄居の者も坂半まて下り立て、矢・鐵砲雨のコとく打かける、田沼山城・岩崎, の麓へ御出陣ある、寄居の内より早クも見付、鐘貝をひゝかし、足利・名草へ急を告レは、, 付、急に御出馬有けれは、其夜の在城岩崎駿河・稻垣伊賀・植野土佐・田沼山城・唐木田, 幸右衞門・岡嶋市太夫、以上六人御馬の前後を圍打けれは、御手廻り少々はせ集り、天正, 曰の出仕もせす、近林にしのひを付窺せけり、宗綱公は勇氣に任せ、手廻り少々にて大坂, 十三年酉ノ正月元日了の上刻御出陣有けるに、若き女白き帷子著たるか御馬の前後ニ隨ヒ, す河・稻垣伊賀・岡島佐太夫・唐木田幸右衞門・植野土佐大將の矢面こ立列り、射向の袖, ズシテ出陣, 諫止ヲ聽カ, ストノ説, 宗綱武重ノ, 寅ノ刻出馬, 遠見役, 天正十三年正月一日, 四

頭注

  • ズシテ出陣
  • 諫止ヲ聽カ
  • ストノ説
  • 宗綱武重ノ
  • 寅ノ刻出馬
  • 遠見役

  • 天正十三年正月一日

ノンブル

注記 (22)

  • 1583,596,57,2295綱公此上は諸一族の異見をも不聞、其夜の丑ノ刻計リ密に在番の諸侍を召され、右趣被仰
  • 998,602,59,2291なし、斯て飛駒の寄居には多田舍人・同右馬之介・遠藤駿河・岩下主計・藤倉丹波・影山
  • 1700,598,56,2291をそんじ、面色かわりて見へさせ給へは、武重かさねて兎角可申上樣なく退出〓けれは、宗
  • 1813,593,58,2293方ノ守禦ヲ構て御進發候はゝ、正サ鋪勝利とこそ覺へ候と申上れは、宗綱公以の外ニ機嫌
  • 532,601,57,2289名草の芳賀右衞門半月の旗を指〓一散に馳來ル、宗綱後陣を省給へとも續く味方もなかり
  • 884,603,58,2289縫殿・和泉新重郎以下遠見の役にて居たりしか、兎角佐野さわかしくおほへけるゆへ、元
  • 1122,601,58,2285歩ける、人々危ク思ふところに、かき化ス如ク失せにける、是を見る人忌おもわれさるは
  • 415,607,57,2286ける處二、寄居の者も坂半まて下り立て、矢・鐵砲雨のコとく打かける、田沼山城・岩崎
  • 646,607,57,2304の麓へ御出陣ある、寄居の内より早クも見付、鐘貝をひゝかし、足利・名草へ急を告レは、
  • 1466,595,59,2295付、急に御出馬有けれは、其夜の在城岩崎駿河・稻垣伊賀・植野土佐・田沼山城・唐木田
  • 1352,601,58,2291幸右衞門・岡嶋市太夫、以上六人御馬の前後を圍打けれは、御手廻り少々はせ集り、天正
  • 768,607,58,2282曰の出仕もせす、近林にしのひを付窺せけり、宗綱公は勇氣に任せ、手廻り少々にて大坂
  • 1236,598,58,2286十三年酉ノ正月元日了の上刻御出陣有けるに、若き女白き帷子著たるか御馬の前後ニ隨ヒ
  • 298,610,58,2283す河・稻垣伊賀・岡島佐太夫・唐木田幸右衞門・植野土佐大將の矢面こ立列り、射向の袖
  • 1610,236,37,208ズシテ出陣
  • 1661,232,39,208諫止ヲ聽カ
  • 1188,242,36,162ストノ説
  • 1713,231,39,206宗綱武重ノ
  • 1238,237,39,211寅ノ刻出馬
  • 897,237,38,127遠見役
  • 1929,752,42,387天正十三年正月一日
  • 1932,2503,38,35

類似アイテム