『大日本史料』 11編 13 天正13年正月 p.5

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飛駒の方へ通りしか、大坂のふもとにかゝり、寄居の前にて宗綱の御專途奉見、急き御側, へは、豐島もなさけあるものにて、彌々御側にちかつき、正敷公は一方の大將成ルが、御手, 山縫殿カ打ける鐵砲内甲へ中り、痛手なりけれは、馬より倒と落て前後を失ひ給ひける、, 泉新重郎を先として六七拾騎打ていで、中ニ取込攻戰、寄居の勢二十騎計討れ、山へさつと, の兵やと見る人感しおしみける、扨宗綱公駿河はいかゝありけると彼を見給ふ折節、かげ, 勇達せしものなるか、有子細名草の奧に引籠、民間ニ下ル事年久し、今日新陽の爲賀慶ト, 後もしらざりけれは、くらのまへはにのりかゝり、はらかき切てぞしにゝけり、適大こう, 引上れは、宗綱公も岩崎駿河と主從二騎こなつてきりぬけさせ給ふ、駿河名を得シ大力、な, ちかく立よりうかゝひみるに、御ようかうつねならす、御ものゝくとても殊に勝レさせ給, おも御馬の側をはなれす、碎堅破強けるも打續ケたるてつほうに十二三ケ所打拔かれ、次, らく御目をふさき刀を枕に御座有、爰に豐島七右衞門忠治と云しは、元は源家普代の侍、武, そばなる畔に寄添て御自害あらんとしけれとも、性力もつき御氣も遠くなりけれは、しは, 第に性力もつきしか、君の御行末無心元、四方を見まはしけれとも、東西くらくなつて前, をかさし、爰を專途と防ける、寄居の中より是を見て多田舍人・藤倉丹波・岩下主計・和, 内甲ニ中ル, 彈丸宗綱ノ, トノ説, 彦七郎宗綱, 天正十三年正月一日, 五

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  • 内甲ニ中ル
  • 彈丸宗綱ノ
  • トノ説
  • 彦七郎宗綱

  • 天正十三年正月一日

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注記 (20)

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