『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.229

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〓大田城へ楯籠るとなり、, 五年二月、信長宰賀の逆徒を攻むる比、逆徒所々の要害を固むといへとも、來軍の, 等一萬餘騎、和泉國貝塚畠中・千石堀の要害に入て、本願寺に助力すとなり、天正, 印・右京坊等なり、秀吉人數十四萬騎、越共二手分て三月廿一日出陣、廿二日根來, 而左大仁と書付たるとなり、當城落て近邊の砦十三ヶ所即時に明退く、敗軍の勢紀, 百姓所持すと也、矢柄は和〓桃股の寺に衣掛の竿とし傳へたり、長三尺五寸、朱こ, 入道三緘・的場源七郎・渡部藤左衞門・岡崎三郎大夫・土橋平次・根來岩室坊清祐, にて一本もあたやなく、矢先に向ふものなし、其矢根八寸、左大仁と銘す、橋本村, 天正の初、本願寺顯如平ノ信長に逆ひ、攝〓大坂の城に籠居、紀〓宰賀孫一郎・同, 猛勢に對しかたく、二月十六日夜退散すとなり、後大平記・信長記に見えたり、, 根來寺惣大將は岩室坊・泉職坊・威徳院・杉坊・赤井坊・正儀院・南藏院・三位法, 一、千石堀大將は左大仁、三番之烏坊といふ、左大仁は大衞權之介といふ者なり、強弓, 一、千石堀古城本村ゟ南山, 略, ○中, 千石堀ノ大, 將, 千石堀城, 天正十三年三月二十一日, 二二九

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  • 千石堀ノ大
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  • 天正十三年三月二十一日

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  • 二二九

注記 (20)

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