『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.886

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本宮神官本官左坐竹坊大藏、其祖, 之坊の跡式を竹坊に與ふ、北山討手の功によりて、台徳大君に上〓し、時服, 先年燒失す、産土神の神主國助といふもの其寫を傳へをり、, 淺野家の頃、北山蜂起の時、討手に加はり功あり、其時本宮乃社家梅之坊、赤, るを以て竹坊に寄り、遂に其家を繼く、後江戸に至り、楠普傳と稱し、兵學を, 教授す、三子あり、長を楠嘉兵衞正次といひ、次を和田良廣とツひ、次を楠犬, 坂大炊之助、池穴伊豆とツふ者、大坂に一味して家斷絶す、淺野家より右梅, を賜ふ、その縁により、代々將軍家の御宿坊となり、七年に一度江戸に上〓, 庵といふ、正次、後土井大炊頭の招きに應し、食祿三百石を得しり、因りて社, 司職を弟良廣に讓る、犬庵は醫を以て尾藩に仕ふ、良廣は竹坊兵竹と稱す、, 詳ならす、世鷹山村, 慶長の頃、楠氏の, 後に、楠嘉兵衞良清とツふもの、新宮堀内氏に屬す、堀内氏滅亡の後、同族か, し、時服を拜領に、又年々秋九月、禁中に御祓大麻並白乾鮎一箱獻上し、若干, に住し、鷹山〓校と稱す, 〔紀伊國續風土記〕, 牟婁郡十八, 其中に、樋谷殿, 今の高山, ならんとあり、又文書は長訓相果、其甥持居とあり、左大夫は長訓の甥な, 八十六, 村なり、, と宛しあ〓、淨, 略, 〓、又討仲正置忠四郎となもの、淺野家并本多中務等より、淨樂寺長訓宛, ○中, の文書數通を持傳へたり、然れはこれも淨樂寺のゆかりのものなる, 樂寺内源助殿と宛しあり、寛文雜記に、樋谷殿は長訓の弟、源助は樋谷の子, 竹坊兵竹, 慶長十九年十二月十二日, 八八六

割注

  • 牟婁郡十八
  • 其中に、樋谷殿
  • 今の高山
  • ならんとあり、又文書は長訓相果、其甥持居とあり、左大夫は長訓の甥な
  • 八十六
  • 村なり、
  • と宛しあ〓、淨
  • 〓、又討仲正置忠四郎となもの、淺野家并本多中務等より、淨樂寺長訓宛
  • ○中
  • の文書數通を持傳へたり、然れはこれも淨樂寺のゆかりのものなる
  • 樂寺内源助殿と宛しあり、寛文雜記に、樋谷殿は長訓の弟、源助は樋谷の子

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  • 竹坊兵竹

  • 慶長十九年十二月十二日

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  • 八八六

注記 (31)

  • 1431,1648,62,1207本宮神官本官左坐竹坊大藏、其祖
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  • 1786,637,64,1797先年燒失す、産土神の神主國助といふもの其寫を傳へをり、
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  • 494,631,77,2223坂大炊之助、池穴伊豆とツふ者、大坂に一味して家斷絶す、淺野家より右梅
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