『維新史』 維新史 1 p.177

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父子訣別の甲冑像を彫刻して之を一龕に收め、左右の扉には和田・恩地等六士の, 傳ふる所によれば、水戸の徳川光圀には湊川建碑の外に、楠公の神靈を其の居城, るに至つた。望楠軒の影響、更に溯つては「太平記」、殊に楠公の世に投じた感化も、, 亦大なりと云はざるを得ないのである。, 肖像を描いて、光明寺に安置した。實に湊川建碑に先立つ二十九年である。其, 然るに寛文三年、佐賀藩士深江信溪・大木英鐵等は藩主鍋島光茂の許可を得、楠公, 門下も亦翕然として之を奉じて、先づ竹内式部の寶暦事件を生んだことは、次節, 内に奉祀しようとする志はあつたが、幕府の忌憚を慮つて、之を中止したといふ。, 楠公欣慕の風は其の顯彰と爲つて現れ、湊川の建碑・畫贊の流行等を生んだ。, に於いて詳述するであらう。更に幕末に及んでは、梅田雲濱の活躍をも惹起す, 正成を理想的の國士として尊王思想の傳播に努めた。講説が最も異彩に富み、, 左衞門等は正成戰歿の日を卜して、義祭同盟結成の式を梅林庵に擧げ、越えて安, の後文化年間に至るや、像龕は梅林庵に移され、更に嘉永三年、枝吉神陽, と云ひ、正徳元年に先師より繼承した京都堺町の錦小路家塾を望楠軒と改稱し、, 相良宗, 種, 經, 創立, と楠社の, 義祭同盟, 佐賀藩の, 楠公崇拜, 第二章尊王思想の發達第五節各地の尊王思想, 一七七

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  • 創立
  • と楠社の
  • 義祭同盟
  • 佐賀藩の
  • 楠公崇拜

  • 第二章尊王思想の發達第五節各地の尊王思想

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  • 一七七

注記 (24)

  • 720,554,61,2274父子訣別の甲冑像を彫刻して之を一龕に收め、左右の扉には和田・恩地等六士の
  • 1051,558,61,2272傳ふる所によれば、水戸の徳川光圀には湊川建碑の外に、楠公の神靈を其の居城
  • 1395,560,59,2284るに至つた。望楠軒の影響、更に溯つては「太平記」、殊に楠公の世に投じた感化も、
  • 1280,556,55,1142亦大なりと云はざるを得ないのである。
  • 609,551,60,2291肖像を描いて、光明寺に安置した。實に湊川建碑に先立つ二十九年である。其
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  • 1632,554,59,2279門下も亦翕然として之を奉じて、先づ竹内式部の寶暦事件を生んだことは、次節
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