『大日本史料』 1編 14 天禄 3年 7月~天延2年3月 p.128

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いふ、上人大に愁傷し、其鹿を得て皮を裘とし、角を杖の頭に挾て常に携へ給ふ、獵, 日鹿來らす、然るに平定盛といふもの遊獵して鹿を持來り、此山において討取し由を, し給ふ、麋鹿夜々來つて閑坐を慰めける、上人是を憐み、其聲を愛し給ふ事深し、一, と號す、, 三昧市中なとを徘徊し、淨土往生の因を勸むるなり、, 〳〵けれは、遂に出家し給ひ、玉樓金殿を立いて、北山鞍馬の奧に、蕭然として山居, 〔都名所圖會〕一紫雲山極樂院光勝寺は、四條坊門堀川の東敲町にあり、空也堂, いふ也、, 者定盛も上人の法徳に歸入し、御弟子と成り、教化に任せ、妻子を具し、頭は有髮の, 上人定盛法師に示し給へる歌, 瓢を敲いて、上人御作の和讚を諷うて、寒中には夜々五, 抑空也上人は延喜帝第二の皇子なりしか、塵外の無爲を樂むの志願まし, 俗體にして衣を著し、, 山川の末に流るゝとちからも身を捨てゝこそ浮む瀬もあれ, 空也上人, 千載, 利清庵・南坊・西巖庵等なり、皆定盛法, 師の苗裔なり、常に茶筌を製して業とす、, 徳正庵・金光庵・壽松庵・東坊・正徳庵・, 今空也堂の境内に八軒あり、鉢敲と稱す、, 衣なり、, 略ス、, 衣は天台, ○中, ○繪, 略, 鉢叩八軒, 天祿三年九月十一日, 一二八

割注

  • 利清庵・南坊・西巖庵等なり、皆定盛法
  • 師の苗裔なり、常に茶筌を製して業とす、
  • 徳正庵・金光庵・壽松庵・東坊・正徳庵・
  • 今空也堂の境内に八軒あり、鉢敲と稱す、
  • 衣なり、
  • 略ス、
  • 衣は天台
  • ○中
  • ○繪

頭注

  • 鉢叩八軒

  • 天祿三年九月十一日

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  • 一二八

注記 (29)

  • 1105,607,62,2175いふ、上人大に愁傷し、其鹿を得て皮を裘とし、角を杖の頭に挾て常に携へ給ふ、獵
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