『大日本史料』 11編 16 天正13年5月 p.201

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付ヶ被成まじきと被仰候得は、何れの道にも大將の無分別は同前にて候と、段々道理く, 惜み存命候哉と、諸人にうしろゆびをさゝれ候ては、生たる甲斐も無御座候、頃日迄武, 篠合戰より八年め家滅亡いたし、歴々の士さへ右の通り罷成候、殿にも今度長閑か藥御, まてすへて進上仕り、御内藥を召上られ候處、其夜半に御腫物吹切り、膿水夥敷出申時、, 作左衞門聲を揚てうれし啼になき申候、本多佐渡も同前の由、其後御種物頓て御平愈也、, 輪を身ども壹人にてからげ候、今日まては殿の御情にて、御家中にても人がましく罷有, 命仕候とも、あれこそ家康公に仕はれたる本多作左衞門と云ものよ、何を樂しみに命を, 田殿家中ニて、甘利殿と申諸人の尊敬に逢たる士も、主人の家つふれ候得は、今程本多, も三ッ切まげられ、脛にも手負候へは、足さへちんばに成候得は、世の人の片輪と申片, 候、唯今にも御死去被成候はゝ、此作左衞門事は即時に飢死仕ル外無御座候、たとへ存, 被仰候故、長閑罷出御藥を差上ケ、御灸をも双六の筒の大サにいたし、作左衞門自身三火, は、甘利殿なと如此あらむとは夢にもおもわさる事に候、是偏に勝頼の無分別ゆへ、長, どきたて、泪をながし申上候得は、家康公御得心被遊、此上は其方申通御療治可被遊と, 平八組に成り、松下一黨・勾坂一黨の者ともの下座にへつらひ被居候、信玄鋒先盛の時, 天正十三年六月二十六日, 二〇一

  • 天正十三年六月二十六日

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  • 二〇一

注記 (16)

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