『大日本史料』 11編 18 天正13年8月 p.71

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の家臣にあらすといへ共、一度約せし詞を違へす、毛利輝元に攻られても、降を乞す腹, 打負、野根山限りに成たり共、本國安堵のみは豈ならさらんや、西國にて名を知れたる, 場をはつす事、未練の第一也、譜代の士を勝て定番に遣し置は、か樣の時の爲にてこそ, 城を預たるこそ越度なれ、急き一宮へ歸りて腹をきれと、あらゝかに宣ひけれは、忠兵, 元親か、一戰もせすやみ〳〵と無事せん事、戸の上の恥辱也、夫程の不覺者とは思はす、, を切、是をは汝聞さりけるか、是をこそ武士の本意とはすれ、假令岩倉・一宮を攻落さ, 叶さる期に臨ては、腹を切か本意也、汝今秀長にたらされ、城を捨て遙々來て、大要の, るゝ共、海部へ引請一合戰すへし、後詰の爲に國許の人數一萬八千餘、彌三郎大將にて, あれ、其甲斐もなきは、頭たる者の臆する故也、いかなれは金子備後守は、元親か譜代, 去程に谷忠兵衞は、急き羽久地へ參り、元親に見へて、羽柴美濃守秀長御扱の赴、委細, 衞免角に及す退出したり、され共忠兵衞は、勇敢口才の者なれは、些も屈せす、家老の, 野根・甲浦に著陳して、海部ゟの一左右を待へしと、兼て下知をなし置たり、其上にも, に申上けれは、案のことく宮内少氣色を損し、大に怒て宣ひけるは、凡籠城する者は、, 元親降參之事, 忠澄宿老ニ, 和ヲ説ク, 忠澄白地ニ, 元親ニ會ス, 天正十三年八月六日, 七

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  • 忠澄宿老ニ
  • 和ヲ説ク
  • 忠澄白地ニ
  • 元親ニ會ス

  • 天正十三年八月六日

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注記 (20)

  • 1164,688,74,2245の家臣にあらすといへ共、一度約せし詞を違へす、毛利輝元に攻られても、降を乞す腹
  • 663,683,73,2235打負、野根山限りに成たり共、本國安堵のみは豈ならさらんや、西國にて名を知れたる
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