『大日本史料』 11編 18 天正13年8月 p.107

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宇和中へぞ差越されける、, 夫正則打入と言けれは、濃州柳ケ瀬の七本鎗の其一、福島一松とそ聞へける、河野通直, 今は世間かく成行けれは、其期に臨ていかはかり見苦事もやあらんすらんと、黒瀬の城, をたちいて給ふ、御心の中誰かはおもひやらさらん、おほくの女房たちなとは、五日以, 衆の頭なるか、是も福島同心にて、道後覺の濱より上りて歩路を打、郡内地藏ケ嶽へ入, 中四方の堀石壁に至るまて、きらゝかに掃拭はせて、久枝又左衞門・山田兵部兩人を被, けれは、通直・直行領分は、とかくの子細もなくて、戸田は大洲におゐて人數分をし、, すかり、前後にたちつゞきて、こゑもおしまずなきかなしみたり、近習の殿原、老若貴, 前よりこゝかしこへ忍はせけるか、これを聞て、夜にまきれつゝたちいて、御馬の口に, 指置、公廣卿は天正十五年十月廿日の、曉月いとさへたるに、主從七騎にてあかぬ御館, 滿座利に折て、一言の子細もなく退散しける、聞ことく勝山河野領へは福島左左衞門大, は伯父輝元の國安藝人のこるゝと云し、今は、民部少輔政信と號して、秀吉公御取立黄察, 公廣卿黒瀬の城有御開事、付、戸田民部少輔政信より土居清良え使札之事、, 〔清良記〕三付閣文庫所〓, 〔清良記〕, ○内閣文庫所藏, ヲ去ル, 公廣黒瀬城, 天正十三年八月六日, 一〇七

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  • ○内閣文庫所藏

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  • 公廣黒瀬城

  • 天正十三年八月六日

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