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やき、國々なひきしたかふ事、草の風にのへふすことくなりけり、, ひの躰第一、御機嫌のあまりに被下候かと分別す也、不苦候間、此御朱印のうつしを, 下々へ書出し、見せよとの隆景分別故、下々へひろまり申候事、, 早打の御朱印參候、此御文躰にて、およそ越中の樣子の次第聞へ可申候か、毛利殿へ, 之御朱印之大形如此かと存候、小早川隆景、此御朱印之御文躰は、御威光又は御きほ, に給はり、佐々氏は具して京へそ歸給ひける、かくて今年も暮て、秀吉いよ〳〵勢かゝ, 一、伊與の國毛利殿陳取の備へ、右之敵の城下かや野原と申所ニ陳取也、其所へ越中より, 加藤作内、およそ此衆中、後陳は宇喜田八郎殿と相聞へ申候、則時に内藏介分國越中, なせり、越中國はかねて前田氏の太郎肥前守にあたふへきと定め給へハ、國をは前田氏, は信長のすさにて、常にあひなれし中なれは、富田左近・津田隼人媒にして、頓而平を, へ亂入被成候と相聞へ申候事、, 一、御先手は、前田又左衞門殿父子・金森五郎八・森右近・池田三左衞門・稻葉右京佐, 〔川角太閤記〕〓東京大學圖書館所戯, 〔川角太閤記〕{, ○上略、秀吉越中ニ出馬スルコト, ニカヽル、八月八日ノ條ニ收ム、, クトノ説, 状ヲ傳フ, ヲ後陣ニ置, ニ越中ノ軍, 秀吉毛利氏, 宇喜多秀家, 下ニ披路セ, 陣立, 隆景秀吉ノ, 成政上洛, ニヨリテ降, 朱印状ヲ旗, 白津田盛月, 成政富田一, シム, 天正十三年八月二十六日, 二九一割注
- ○上略、秀吉越中ニ出馬スルコト
- ニカヽル、八月八日ノ條ニ收ム、
頭注
- クトノ説
- 状ヲ傳フ
- ヲ後陣ニ置
- ニ越中ノ軍
- 秀吉毛利氏
- 宇喜多秀家
- 下ニ披路セ
- 陣立
- 隆景秀吉ノ
- 成政上洛
- ニヨリテ降
- 朱印状ヲ旗
- 白津田盛月
- 成政富田一
- シム
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- 天正十三年八月二十六日
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- 二九一
注記 (33)
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