『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.420

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其後又、駿, たて候樣にと、これ有る上意に付、右の女中をおかちとの部屋へ引取、被差, らの儀有之候得共、英勝院殿方におゐて、御出合の節には、頼房公の御方よ, にて平産致させ、男子にても、女子にても、生れ落より、其方か子にいたし、そ, れは、養子を致し候樣にと、被思召候へ共、其方か養子と有之候はゝ、當城内, 勝院殿と申、江戸表へ下向あられ、田安お比丘尼屋敷之内に居住あられ候、, 置候處に、月滿て御男子御誕生被遊、御息災にて御成長被遊、後には水戸中, にて、そたち申にて有へし、然は外のものは成ましき間、我らの孫共の中に, 府の御城内にて、懷妊の女中方在之候を、おかち殿へ御預け被成、其方部屋, 納言頼房公と申奉り候となり、右のおかちとの儀、權現樣御他界以後は、英, 座なく候に付、或時權現樣、おかちとのへ上意被遊候は、其方子も無之儀な, 英勝院殿息災にて、田安に御入の節、水戸頼房公と、松平伊豫守殿御兩, 人一所に、御振〓の義毎度有之候處に、水戸殿御方は御叔父と申、其上家か, り、伊豫守殿を御慇懃に御あしらひ、實の御兄弟の如く、むつましき御出合, 殿と申時、駿河へ被召呼、おかちとのへ養子に被下候となり, て、壹人とらすへきと有上意にて、右伊豫守殿儀、其節は十一歳に御成、虎松, ○中, ○中, 略, 略, 英勝院, 尼屋敷, 田安比丘, 松平忠昌, 慶長八年八月十日, 四二〇

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  • ○中

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  • 英勝院
  • 尼屋敷
  • 田安比丘
  • 松平忠昌

  • 慶長八年八月十日

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  • 四二〇

注記 (26)

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