『大日本史料』 11編 19 天正13年閏8月 p.58

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て相戰ふの處、味方利を失ひて引退くといへとも、長盛大久保忠世とゝもに踏とゝまり、, 城中におさむ、三日、昌幸城外に備をまうけて、味方の虚實をうかゝひ、兵を出してし, 〔譜牒餘録後編〕, 吉とゝもにかの地にいたり、閏八月二日、城の三丸を攻敗るときに、昌幸父子兵を出し, 定めてこれを防くといへとも、味方利を失ふ事多し、, は〳〵相戰ふ、味方は八重原に陣を張、堅固にこれを守り、且諸將と議して、物見番を, たてまつり、忠義をあらはすゆへ、武川衆と同しく御書をたまはる、, 川端に陣をかまへて追來る敵を遮る、こゝにをいて敵戰ひを接る事あたはすして、兵を, 多田昌綱三八郎, 走廻仕、其上爲證人、妻子等駿州興國寺え差上ケ、御奉公申上候付、御直判之御書、翌, 〔寛水諸家系圖傳〕, 十三年、眞田昌幸か居城上田に兵をむけらるゝのとき、大久保忠世・鳥居元忠・平岩親, 州眞田表え御人數被差遣候節、大久保七郎右衞門備組之而罷立、於彼地武川之者共別而, 權現様え武川之者之内私曾祖父多田三八郎被召出候筋目、, 同十三年、士卒を眞田おもてへつかはさるゝ時、軍功をはけまし、妻子を駿州興國寺へ, 天正十三年酉ノ九月、信, 閏八月二十六日ノ條ニ收ム、, ○下略、丸子合戰ノコトニカヽル、, 二十, 三十, 略, ○中, 小普請之五松平縫殿頭組之上, 四, 小普請之五松平縫殿頭組之上多田三八郎, 中, 二屬ス, 大久保忠世, 多田昌綱, 天正十三年閏八月二日, 五八

割注

  • 閏八月二十六日ノ條ニ收ム、
  • ○下略、丸子合戰ノコトニカヽル、
  • 二十
  • 三十
  • ○中
  • 小普請之五松平縫殿頭組之上
  • 小普請之五松平縫殿頭組之上多田三八郎

頭注

  • 二屬ス
  • 大久保忠世
  • 多田昌綱

  • 天正十三年閏八月二日

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  • 五八

注記 (31)

  • 1563,721,60,2265て相戰ふの處、味方利を失ひて引退くといへとも、長盛大久保忠世とゝもに踏とゝまり、
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