『大日本史料』 11編 19 天正13年閏8月 p.59

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〔寛政重修諸家譜〕, 正信白須平次をもつて此旨を昌忠に告、, 屋村をさゝへたもつ、これによりてこの手の味方恙なく退く事を得たり、東照宮この」, 渡守正信に命じてのたまはく、昌忠出陣の度ごとに、つとめ戰かはずといふ事なし、我, つねにかれが討死せん事を恐る、今より後は旗本に置べし、みだりに進しむる事なかれ、, 村をさゝへたもつ、これによりて味方事ゆへなくして退事を得たり、此時大權現本多佐, 年戌ノ正月、武川衆中え被下置候、于今爲中ケ間所持仕候、, 十三年閏八月二日、上田陣のとき、味方利を失ふ、昌忠及ひ其餘の兵士六人踏留り、染, 十三年、信濃國上田城をせめたまふのとき、質として妻子を駿河國興國寺城にをくり、, 大久保忠世か組に屬して軍忠をつくせしかは、十四年正月十三日、武川の士連名の御書, 同十三年八月二日、眞田陣にをひて味方利をうしなふ、時に昌忠その外兵士六人、染, 多田昌綱三八郎, 〔寛永諸家系圖傳〕広小幡昌点, を下さる、, 〔寛政重修諸家譜〕, 小幡臼忠, 小幡昌忠, 藤五郎, 五百四, 十五, 又兵衞, 殿頭充多田三八郎書上ニカヽル, 二百六, ○上下略、貞享元年二月附松平縫, 藤五郎, 十九, 又兵衞, 六十, 家康昌忠ノ, 戰死ヲ恐レ, 染屋村ヲ守, 小幡昌忠, 旗本ニ置ク, 天正十三年閏八月二日, 五九

割注

  • 藤五郎
  • 五百四
  • 十五
  • 又兵衞
  • 殿頭充多田三八郎書上ニカヽル
  • 二百六
  • ○上下略、貞享元年二月附松平縫
  • 十九
  • 六十

頭注

  • 家康昌忠ノ
  • 戰死ヲ恐レ
  • 染屋村ヲ守
  • 小幡昌忠
  • 旗本ニ置ク

  • 天正十三年閏八月二日

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  • 五九

注記 (35)

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