『大日本史料』 11編 22 天正13年11月21日 p.13

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左右に有、是より小性壹人、草履取壹人と押留、御供の衆か樣の事見たる事なし、主の, 供するを誰か押へんと聲高に申、與右衞門聞て、長宗我部殿の供の衆苦敷もなし、入よ, り、元親は四國の主なれとも、かやうの膳部見られたる事なし、されとも臆せぬ躰にて給、, を請し、座を定めけれは、七五三の膳部、金銀の作り花、京堺の魚鳥、數を盡し被出た, 一文字の太刀一腰にて御禮申上る、秀吉公御對面有て、長宗我部早々上洛、御感に思召, との御意にて、饗膳可被下、美濃守・施藥院相伴せよと被仰、奧へ入給ふ、美濃守元親, 家に入、是にて裝束有て登城有、櫻の門に入らせ給へは、警固の者五十人、金の棒持て, との儀也、則大坂へ出仕の支度せらる、藤堂與右衞門堺より元親公同道也、大坂にて町, 此宿に來り、元親へ對面して、美濃守殿被申は、早々上洛、秀吉卿聞召て、御感に思召, と申せは、棒引て入る、美濃守殿御迎に御出有て、元親公同道にて、奧の間へ通らせ給, ふ、與右衞門立〓り、供の衆是に被居よと侍所に置、元親公進物小袖二十、馬代銀百枚、, 堺の浦に著給、堺にて天王寺宗及か所御宿所に定り、暫有羽柴美濃守殿・藤堂與右衞門, 十以上の侍、日頃御用に立剛の侍共五十人御供也、十月廿日浦戸出船にて、程なく泉州, 上りてよからんと、御供衆被觸、家老留れとも、元親只今よからんと思召立、御供達四, 天正十三年十月十五日, 一三

  • 天正十三年十月十五日

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  • 一三

注記 (16)

  • 1205,610,59,2241左右に有、是より小性壹人、草履取壹人と押留、御供の衆か樣の事見たる事なし、主の
  • 1080,611,59,2244供するを誰か押へんと聲高に申、與右衞門聞て、長宗我部殿の供の衆苦敷もなし、入よ
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