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日、秀政か居城古河につたらを壹まふ乃とき、〓膳を献す、二十四日、小山, に着御のと〓海、石田三成反逆乃き〓〓あ多により、まつこれを征せら, 日、信濃國松本をあらためて、下總國葛飾郡のうちにをいて、東照宮より, に列し、榊原康政とゝもに備へ〓戰功を勵す、この役終な乃ゝち、九月十, れむかため、台施を上方にむぎらるゝ乃時、秀政はおほせにより、景勝か, り、岡崎三郎信康君の息女を娶る、十八年、小田原陣のとき、東照宮乃供奉, たむ、慶長五年、上杉景勝御征伐乃ときしたかひたてま〓り、七月二十三, より太閤の命をつたへられて御書をたまふ、八月十三日、太閤の命によ, 三万石の地を賜ひ、古河城に住す、文祿元年、朝鮮陣のとき御供に列し〓, 押としず、下野國宇都宮城の守衞にくはゝ〓、六年二月、二万石を加賜せ, おもむく、よりず秀政はしめて太閤に〓見に、太閤懇にこれを遇し、十二, 太閤にこゝ海さしを通し逐電するのとき、秀政をもいされひす大坂に, 肥前國名護屋にいたる、四年三月二十日、從五位下に叙し、上野介にあら, 月、信濃守貞政と稱せしむ、天正十七年正月七日、封を襲、このとき東照宮, ら〓、所領を信濃國伊那郡のうちにうほさ〓、飯田城をたまふ、こし月信, 元和元年五月七日, 信濃五万, 石ヲ領ス, 元和元年五月七日, 八八
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- 信濃五万
- 石ヲ領ス
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- 元和元年五月七日
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- 八八
注記 (20)
- 610,714,60,2148日、秀政か居城古河につたらを壹まふ乃とき、〓膳を献す、二十四日、小山
- 495,715,57,2149に着御のと〓海、石田三成反逆乃き〓〓あ多により、まつこれを征せら
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