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り、のち義弘ヽあらたむ、十二月四日、義昭書をあたへず、豐臣太閤との和, はおこるといたとも、義弘驍勇にして、みつから兵に將とし多これを撃, をうかゝ〓、よりて、さの寇を防むつために、同國諸縣郡飯野城にう平り, に復す、このとき、大友の寇なをたひらかす、豐、肥、筑、前後六國の兵しはし, 平をすゝむとい屋ともしたかはす、十五年三月、義弘、太閤乃先陣羽柴秀, なきにより、讓りをう老て、守護職となり、肥後國八代に在城し、乃ち飯野, り、書を賜はりて、肩衣、袴をあたへらる、十三年四月二十四日、兄義久男子, いたり、義久と兵をあはせ、四月、また其地にをいて、秀長と合戰す、このと, 功勞尤おほし、十四年八月十七日、義昭より諱字をとづはり、義珍と名乃, 住す、元龜三年五月四日、伊東義祐、日向國加久藤を侵す、義弘兵を率ゐて、, より、新恩の地大隅國を充行はれ、肝屬一郡き、伊集院右衞門大夫忠棟に, き、太閤と和解し、摩下に降〓、五月廿五日、今度九州乃事改易をらるゝに, 長と豐後國府内に戰ひて、これを破る、乃ち兵をおさめて、日向國都於に, わろちあたへらるゝむ〓、太閤より朱印を賜はる、よりて義弘鶴田にい, 義祐か軍を敗る、天正十二年九月四日、靈陽院義昭歸洛乃〓を催すによ, 元和五年七月二十一日, 秀吉ト戰, 伊東氏ヲ, ヲ授ケラ, 肥後八代, 秀吉ニ降, 家ヲ繼ギ, 兄義久ノ, ヨリ偏諱, 足利義昭, 城ニ居リ, 制ス, ニ住シ後, 飯野ニ移, 日向飯野, 秀吉ニ〓, ル, 元和五年七月二十一日, 一五二
頭注
- 秀吉ト戰
- 伊東氏ヲ
- ヲ授ケラ
- 肥後八代
- 秀吉ニ降
- 家ヲ繼ギ
- 兄義久ノ
- ヨリ偏諱
- 足利義昭
- 城ニ居リ
- 制ス
- ニ住シ後
- 飯野ニ移
- 日向飯野
- 秀吉ニ〓
- ル
柱
- 元和五年七月二十一日
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- 一五二
注記 (34)
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