『大日本史料』 11編 別巻1 p.194

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ざりき、しかれども、心の眞摯も到底自然の力に抗すること能はず、教皇ジユリヨの葡萄, もし死すべくば一度見たるのち、喜びて死すべしと言ひて出で、これを阻止すること能は, 園(ローマ市前の小廣場にして、大使等は同所より入市を始めたり)より、ポポロの門に, も、強く反對せり、されど、彼は至聖なる父を見ることを得ば、一切の病は恢復すべく、, ローマ入市をなし、サラ・レジアに於いて〓見を爲し得、ローマ全市の歡迎に加ふるに、, は、彼が今その病のために奪はれたる名譽よりも遙に勝れたる名〓を、死の功徳により, 教皇の特別なる慈愛に接するを得たり、されどドン・ジユリヤノにつきては、醫師等が, 日は更に大なる歡喜ありたり、彼等は王の使節が公の〓見に導かるゝ例に倣ひ、莊嚴なる, 至りて氣力を喪失し、馬上に留まること能はざりき、ヴァチカンに到るまでの道はなほ遠き, 擁し、親愛を示したるが、公子等は多くの危險と不安とを過し、終にこの慰藉を得るに至, が故に、この上爲すこと能はざるを認め、三人のみ進みたり、しかるに、既に天に於いて, その病を思ひ、その住院より外に出づることは言ふをまたず、その病床を離るゝことすら, りしを衷心より喜び合ひたり、この日は一五八五年三月二十二日, て、當ローマに於いて受くる日の來るべきこと、記されゐたり、即ち彼ドン・ジユリヤノ, なりき、ウ, 一十一日二當ル、, ○天正十三年二戸, やんノ病状, 中浦じゅり, 天正十年是歳, 一九四

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  • 一十一日二當ル、
  • ○天正十三年二戸

頭注

  • やんノ病状
  • 中浦じゅり

  • 天正十年是歳

ノンブル

  • 一九四

注記 (21)

  • 891,615,58,2294ざりき、しかれども、心の眞摯も到底自然の力に抗すること能はず、教皇ジユリヨの葡萄
  • 1006,617,60,2293もし死すべくば一度見たるのち、喜びて死すべしと言ひて出で、これを阻止すること能は
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