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に及ひ申者とては、壹人も無之候處に、將軍宣下の御沙汰も無御座、御官位, ては、漸々と十四五ケ國も、有か無かと申時分、早速天下とりのふりを被致, 之、御客人あしらひに被致、其外小田原の北條家、水戸の佐竹を始め、出羽、奧, 一戰に御勝被成、逆徒の張本浮田、石田、小西、大谷等を始、凶徒等不殘御退治, 州筋の諸大名の儀は、天正十八年迄の儀は、上洛なとゝ申儀も無之、我まゝ, も、國取の平大名竝に、なし置れ候ことく有之候へは、日本國中に於て、異儀, に在國被致たる樣子に相聞え候、權現樣の御事は、慶長五年、關ケ原表の御, 被遊、大身の毛利輝元抔をも、身上を御果し被成、其外佐竹、秋田、上杉家を始, し、關白職となり、禁中の御威光を笠にきられ、天下取の威勢をは振はれ候, 丹羽、立花の輩、或は知行を減少にて所替、又は領知を被召放、秀頼なとの儀, 大臣なとにも任し被申たる事に候、其後、豐臣秀吉卿なとも、其身公家に列, へ共、權現樣と、織田内府御兩人の儀は、豐臣家の幕下旗下と申譯にても無, 稱し奉る、, 後、室町殿代、右之作法用來、今度御當家も、室町家より御相續被成、公方樣と, 〔落穗集追加〕三問て云、織田信長公なとの儀は、全く手に入たる國と申, 家康任將, 軍ノ事遲, 據ルト云, カリシト, テ徳川家, ノ舊例二, フヿ, ハ室町家, 臣ノ感懷, 慶長八年二月十二日, 一三
頭注
- 家康任將
- 軍ノ事遲
- 據ルト云
- カリシト
- テ徳川家
- ノ舊例二
- フヿ
- ハ室町家
- 臣ノ感懷
柱
- 慶長八年二月十二日
ノンブル
- 一三
注記 (26)
- 307,642,58,2203に及ひ申者とては、壹人も無之候處に、將軍宣下の御沙汰も無御座、御官位
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