『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.113

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るよし、或古記に見へたり、三河町は、江戸御打入の砌、三河國より御小人, りてありしとそ、凡江城の邊、むかしは千代田、寶田、齋田、芝崎等の村なり、, の時、今の地へ移させられしよしなり、麹町は尤古く、御打入の時開給ひ, 日本六十餘州の人歩をよせ、神田の山を崩され, は、今の室新助の父の醫師なるに、屋敷壹ツ割あたへし事なとあり、昔は如, しよし、紳書にいへり、赤坂一ツ木の町屋になりしは、天正十九年の事な, しとそ、千代田、寶田ともに、今の龍の口、大手の邊ならんといへり、福田村, 南の入海、四方, 南傳馬町、小傳馬町は、千代田村の由なり、大傳馬町は、寶田村のうちなり, は、本石町、銀町の邊也、櫻田村は、今の櫻田御門の邊なりしか、御城御造營, ゝと申上けれは、町をもわり渡し候へとの事なり、其時は、奉行の心々なれ, 是まては、大名小路の邊、八代洲河岸、道三河岸の邊、〓町の邊等に、町屋連, ひらかれし時も、我等か父の奉行を承りたり、此邊へ、町家なくしてはいか, 三十餘町埋させ、在家を立させ給ふと云, 此なりしといふ, 〔武江年表〕一慶長八年癸卯、今年江戸町割を命し給ふ、慶長見聞集に、, 慶長八年三月三日, 今駿河臺の, 東南なり、, 沿革大要, 江戸町ノ, 一一三

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  • 今駿河臺の
  • 東南なり、

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注記 (22)

  • 297,714,60,2134るよし、或古記に見へたり、三河町は、江戸御打入の砌、三河國より御小人
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