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〔參考〕, は山畠を燒ことを禁むへきむね、御黒印を下さる, 九州圖を按ずるに、日向と肥後との, 相良長毎、慶長六年三月二十八日、所領肥後, と云物に、兒湯はたヾ新納穗北に御納代、米良の椎葉に都於郡まで、とあり、, 山の事、先規の如く、鷹巣山になさるゝにより、彼山に弓鐵炮をいれ、あるひ, 日向兩國の境、椎葉山の郷士等に御朱印を下さる、九月二十九日、所領米良, 間に、米良山とて大山あり、又日向方に因て、本米良と云處もあり、又五郡歌, ニ至リシコト、各其本條アリ、參看スベシ、, 〔太宰管内志〕, 米良郷, 寛政重修諸家譜〕, 慶長八年四月二十日, つる、〇本書、本條, 米良山の事は、往昔肥後, 國の菊池の後、石見重次, 日向之二, 八百九, マ郡内也、奈須よりは數里南にあたりて、日向國兒湯郡の地にさし出たる, ○中, はしめて此山に來り、銀鏡村に住し、米良をもつて家號とす、これより代, 十八, 處也、(〇中略)米良内の椎葉と云ことなるべし、米良は肥後の内なり、陰徳大, 椎葉と云も、郷名かしらず、(〇中略)輿地圖に依て按するに、米良は肥後國ク, 兒湯郡, 彼山に居住し、毎代家督の後、江戸にまいり、世々の將軍家にまみへたてま, 人云、椎葉山は今は御領にて、肥後の方よりは、人吉米良を過て椎葉に至る, 平記五十二卷に、天正の比、肥前國士に、椎葉安藝、椎葉一六なとあり、青柳大, ノ事ハ記載ナシ、, 略, 川に流し、八代の海邊にて, 深山幽谷の地にて、大材多し、公儀御用の材木を、こゝにて伐て、肥後のクマ, 舟積して、上方に登する也、, 米良山, 慶長八年四月二十日, 二四二
割注
- つる、〇本書、本條
- 米良山の事は、往昔肥後
- 國の菊池の後、石見重次
- 日向之二
- 八百九
- マ郡内也、奈須よりは數里南にあたりて、日向國兒湯郡の地にさし出たる
- ○中
- はしめて此山に來り、銀鏡村に住し、米良をもつて家號とす、これより代
- 十八
- 處也、(〇中略)米良内の椎葉と云ことなるべし、米良は肥後の内なり、陰徳大
- 椎葉と云も、郷名かしらず、(〇中略)輿地圖に依て按するに、米良は肥後國ク
- 兒湯郡
- 彼山に居住し、毎代家督の後、江戸にまいり、世々の將軍家にまみへたてま
- 人云、椎葉山は今は御領にて、肥後の方よりは、人吉米良を過て椎葉に至る
- 平記五十二卷に、天正の比、肥前國士に、椎葉安藝、椎葉一六なとあり、青柳大
- ノ事ハ記載ナシ、
- 略
- 川に流し、八代の海邊にて
- 深山幽谷の地にて、大材多し、公儀御用の材木を、こゝにて伐て、肥後のクマ
- 舟積して、上方に登する也、
頭注
- 米良山
柱
- 慶長八年四月二十日
ノンブル
- 二四二
注記 (36)
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