『大日本史料』 6編 3 延元元年正月~建武3年12月 p.140

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新羅征伐の昔、神功皇后椎木に御手をふれられけるに依て、香はしかりし, せり、然るに淨衣著たりし老翁、直に將軍の御鎧の袖に杉の葉を指奉りけ, て山有、西は海遠して唐をに限りける、彼松浦さよ姫かひれふりしけんか, は皆〓の葉を笠印に付て候、是は御方の御笠印なるへしとて、兩大將より, れは、是は神の御加護、化人を遣されけるかと、彌頼母敷思召れけれは、軍勢, 日辰刻に、宗像の御陣を御立有て御向ひ有、五六里計御過有ける未の刻計, とも勇の色をそ顯しける、去程に、當所を御過有て、赤坂といふ所に打臨て, れは、白き御刀をそ給ける、後に御尋有しに、神人等更にしらさるよし申け, に、香椎宮の御寶前を過させ給ふ所に、神人等杉の枝を折持て申けるは、敵, かれたり、筥崎の八幡宮は、四方一里の松原あり、南は博多、東は二三里を去, 御覽しけれは、多々良の濱とて五十町の干潟あり、南のはつれに小河一な, 始奉て、軍勢の笠印にそ付させける、奇瑞誠に目出度にみえし、殊に當社は, よし、方々より注進申ける間、後陣の輩の御沙汰にも不及、建武三年、三月二, ゆへ、香椎宮と申也、此ゆへに當社椎木を以神體に比し、杉の木を以御寶と, なしひも、思ひやられて哀なり、御陣の赤坂と松原の間砂利にして、玉をし, ヲ發ス, 淨衣ノ老, 尊氏宗像, 尊氏ノ饋, 印トス, 笹葉ヲ筋, 菊池ノ兵, 赤坂ニ至, 袖ニ挿ム, 戰地ノ形, 翁杉葉ヲ, 勢, 延元元年三月二日, 一四〇

頭注

  • ヲ發ス
  • 淨衣ノ老
  • 尊氏宗像
  • 尊氏ノ饋
  • 印トス
  • 笹葉ヲ筋
  • 菊池ノ兵
  • 赤坂ニ至
  • 袖ニ挿ム
  • 戰地ノ形
  • 翁杉葉ヲ

  • 延元元年三月二日

ノンブル

  • 一四〇

注記 (29)

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  • 1010,647,80,2205せり、然るに淨衣著たりし老翁、直に將軍の御鎧の袖に杉の葉を指奉りけ
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