『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.285

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の繪草紙二册あり、名古屋山三郎繪盡と號す、詞書ありて、往古、山城國小幡, 瑠理節に作てかたりたるか、自然兒女の耳に殘りて、漸世に傳へしと覺ゆ, とも、詞書なけれは殊に詳ならず、僕案するに、延寶、天和のころ、土佐〓が淨, 并に遊君高間の葛城等か事をしるせり、いとおぼろげにて、實記ともおほ, 京都より引越て、狂言芝居を興行せり、是當地大芝居の權輿たり、其頃迄、今, わざにぞありける、」此歌、南嶺子か作の、東童てふ草紙にも出たり、, の里に住む名古屋山三郎といふ者、父三郎左衞門正春の仇、同國伏見の里, へず、又英一蝶の筆に、名古屋山三郎仇討の繪卷物を、世につたふるといへ, の旗屋町、尾頭町邊は、海道にて並松ありしが、是よりはるか後、寛文四年の, に住む不破伴左衞門といふ者を討たる事、北野のほとりに住む梅津嘉門, 頃より、人家立ならひて次第に繁昌し、今のことく、町つ〻きとはなりける, めるうたあり、曰「よのさまをうつしてまひつうたかたのよるへさためぬ, 右元祖山三郎は、風雅の道にも志ありて、芝居の事をみつからよ, 〔本朝醉菩提〕一不破名古屋傳奇考、貞享二年の印本に、菱川師宣の筆, とぞ, 戲場事始〕上永祿四辛酉年、熱田鷲峯山へ、元祖名古屋山三郎が一座、, ), ○中, 略, 府, 名, 山三郎繪, 熱田ノ戲, 場, 山三郎ノ, 山三郎仇, 討ノ繪卷, 風稚, 盡, 慶長八年四月是月, 二八五

割注

  • ○中

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  • 山三郎繪
  • 熱田ノ戲
  • 山三郎ノ
  • 山三郎仇
  • 討ノ繪卷
  • 風稚

  • 慶長八年四月是月

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  • 二八五

注記 (31)

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