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は、何程の領地成哉, 齋卒去の後、一寺に建立し給ふよし、氏朝朝臣の内室、上總國より勝光院へ, ふ文也、則、氏朝朝臣の息頼久主の時に開基也、今御朱印拾五石は、台徳院殿, へたる所、今郷數五拾七ケ村あり、, おこし給ふ文、今に勝光院にあるよし、是は實相院開基のことを言殘し玉, ふ地にして、今に構の跡堀もあり、學翁齋とて住給ふとなり、しかるに學翁, より被下けると也、吉良家寄附の例に依る也、慶長八癸卯年九月六日、從四, 義成主、其子吉良左京大夫義俊朝臣、復吉良氏、高家、任侍從、被敍從五位下、三, 山なり、村高四百拾六石餘也、弦卷村高百三十三石餘なり、亦世田谷領と唱, 弦卷村實相院開基は、蒔田左兵衞佐頼久主也、此寺は氏朝朝臣の隱居し給, 今高合壹萬三千六百三十四石餘, 世田谷は前にしるすことく、何ほどの貫高なる所か不知、古城跡あり、今野, 百石加増、千四百貳拾五石、, あり、是は、古の城附村々のみか分りかたし、外に蒔田郷も領し給ふ、しかれ, 人を差出、本多佐渡守正信朝臣の組を勤, 義祗主息、蒔田左兵衞佐, ○村名, 世田谷近郷は、みな吉良氏の進退, 陣代ハ中, 北氏也、, 其家〓てもしらす、○朱書ニ、等々力村大平利左衞門方, のやうに思ハるゝ也トアリ、中略、, vに、吉良氏の文書數通あり、其文書によりてみれ〓、川て, 中略, 開基, 高家トナ, 實相院ノ, 世田ケ谷, ル, 慶長八年九月六日, 五二一
割注
- ○村名
- 世田谷近郷は、みな吉良氏の進退
- 陣代ハ中
- 北氏也、
- 其家〓てもしらす、○朱書ニ、等々力村大平利左衞門方
- のやうに思ハるゝ也トアリ、中略、
- vに、吉良氏の文書數通あり、其文書によりてみれ〓、川て
- 中略
頭注
- 開基
- 高家トナ
- 實相院ノ
- 世田ケ谷
- ル
柱
- 慶長八年九月六日
ノンブル
- 五二一
注記 (31)
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