『大日本史料』 6編 5 暦応元年8月~暦応2年12月 p.633

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

嚴なれは、つゝみ給ふに詞なく, 輿を進め奉ると云へとも, 場ときなし給ひぬ, 木某云々, 其由叡聞に達しぬれは云々、勅願の靈, 安國上人, 守護人佐々, 御, 南朝延元四年北朝暦應二年八月一日, 貴戚の入道は、薙髮には非すして、所謂刺髮尼なる例なれとも、當時既にし, 此度天皇供奉の一將に佐々木高氏入道々譽あり、出雲の守護は, 佐々木鹽冶判官高貞、隱岐の守護は佐々木清高なり、凡て隱岐出, 位牌に他阿上人, 月二十三日迄船上山行在に坐ます、此間の事に, とある、同人なり、, 王箕村進氏か祖某か家に入らを給ふと云へなは妄説なり、かくて天皇數, て深田氏か筆記に云へる如く、内親王は此後彼の家に止まり給ふ、, 聞するに、當寺は當時藤井某つ宅地にして、, 畫面に天皇も御再會坐まして、佛舍利を得させ給ふ状, あり、然るに船上山より還幸は、山陰を東に發し給ひし, 雲は佐々木歴代の管國にて、其指揮當國に及へるか故に、斯の如し、さ, 給ひ、數多の御兄弟の中御一人遙に下らせ給ひしを、逆徒の爲に支へられ, 奉れは、凡下恐れありと云へとも、感〓言語の及ふ處に非す、, 當寺の古畫、深田氏に筆記、又土人口碑を見, させ給ひて、御志を遂させ給はさ〓し當日の御事情を察し, 一旦是に入らを給ひ、轉して深田氏に止まり給ふ、稻田氏か筆記に、初内親, 薙髮の事、本文前後せるつ如きは、筆記の疎なるつ故なり、略縁起に勅使京, の開基たりと云ふ一説あり、是なりや否や、抑内親王天皇の御別を悲し, 日の後、深田氏を發して御渡海あり、然れは御訣別は彼家にの御事な〓, 明年二月二十八日、天皇隱岐より御渡海有て、五, はいかに御發心ありとも、いまた御薙髮御入寺もなき中に、かく勅諚を固, らす、略縁起に一年を隔てゝ御薙髮あ〓と記せるは謬傳なり、此勅使と御, 藤井氏か苗〓今斷絶す、四日市村同慶寺の下に、當時藤井氏法體して彼寺, て、彼所より勅使を下されしなるへし、此時既に御薙髮の後なるへし、其故, 辭し給ふ〓きに非す、且下に擧る尊良親王の御詞書に據れは、去年の御薙, 趣、名和氏紀事に考證せるか如し、然れは戎馬の間御對顏の爲時に深田氏, 髮と見えたり、然れは深田氏にての御事なり、此年紀何れの筆記にも明ふ, 〓ら, に入らせ給ふ事あるへきにあらされし、右の畫面は後人の杜撰と見えゝ, す、, より下て、御歸洛を進め奉宮し由記せるは、また誤なり、序に云ふ、上古後宮, ソギアマ, 貴戚の入道は、薙髮には非すして、所謂刺髮尼なる例なれとも、當時既にし, 六三三

割注

  • 此度天皇供奉の一將に佐々木高氏入道々譽あり、出雲の守護は
  • 佐々木鹽冶判官高貞、隱岐の守護は佐々木清高なり、凡て隱岐出
  • 位牌に他阿上人
  • 月二十三日迄船上山行在に坐ます、此間の事に
  • とある、同人なり、
  • 王箕村進氏か祖某か家に入らを給ふと云へなは妄説なり、かくて天皇數
  • て深田氏か筆記に云へる如く、内親王は此後彼の家に止まり給ふ、
  • 聞するに、當寺は當時藤井某つ宅地にして、
  • 畫面に天皇も御再會坐まして、佛舍利を得させ給ふ状
  • あり、然るに船上山より還幸は、山陰を東に發し給ひし
  • 雲は佐々木歴代の管國にて、其指揮當國に及へるか故に、斯の如し、さ
  • 給ひ、數多の御兄弟の中御一人遙に下らせ給ひしを、逆徒の爲に支へられ
  • 奉れは、凡下恐れありと云へとも、感〓言語の及ふ處に非す、
  • 當寺の古畫、深田氏に筆記、又土人口碑を見
  • させ給ひて、御志を遂させ給はさ〓し當日の御事情を察し
  • 一旦是に入らを給ひ、轉して深田氏に止まり給ふ、稻田氏か筆記に、初内親
  • 薙髮の事、本文前後せるつ如きは、筆記の疎なるつ故なり、略縁起に勅使京
  • の開基たりと云ふ一説あり、是なりや否や、抑内親王天皇の御別を悲し
  • 日の後、深田氏を發して御渡海あり、然れは御訣別は彼家にの御事な〓
  • 明年二月二十八日、天皇隱岐より御渡海有て、五
  • はいかに御發心ありとも、いまた御薙髮御入寺もなき中に、かく勅諚を固
  • らす、略縁起に一年を隔てゝ御薙髮あ〓と記せるは謬傳なり、此勅使と御
  • 藤井氏か苗〓今斷絶す、四日市村同慶寺の下に、當時藤井氏法體して彼寺
  • て、彼所より勅使を下されしなるへし、此時既に御薙髮の後なるへし、其故
  • 辭し給ふ〓きに非す、且下に擧る尊良親王の御詞書に據れは、去年の御薙
  • 趣、名和氏紀事に考證せるか如し、然れは戎馬の間御對顏の爲時に深田氏
  • 髮と見えたり、然れは深田氏にての御事なり、此年紀何れの筆記にも明ふ
  • 〓ら
  • に入らせ給ふ事あるへきにあらされし、右の畫面は後人の杜撰と見えゝ
  • す、
  • より下て、御歸洛を進め奉宮し由記せるは、また誤なり、序に云ふ、上古後宮
  • ソギアマ
  • 貴戚の入道は、薙髮には非すして、所謂刺髮尼なる例なれとも、當時既にし

ノンブル

  • 六三三

注記 (44)

  • 1869,641,57,932嚴なれは、つゝみ給ふに詞なく
  • 1055,642,55,780輿を進め奉ると云へとも
  • 352,642,57,552場ときなし給ひぬ
  • 1286,643,53,267木某云々
  • 476,1714,57,1139其由叡聞に達しぬれは云々、勅願の靈
  • 474,859,52,275安國上人
  • 1408,2513,56,335守護人佐々
  • 1178,2807,55,51
  • 131,719,45,726南朝延元四年北朝暦應二年八月一日
  • 559,602,50,2262貴戚の入道は、薙髮には非すして、所謂刺髮尼なる例なれとも、當時既にし
  • 1316,923,47,1919此度天皇供奉の一將に佐々木高氏入道々譽あり、出雲の守護は
  • 1271,940,49,1919佐々木鹽冶判官高貞、隱岐の守護は佐々木清高なり、凡て隱岐出
  • 503,1156,40,471位牌に他阿上人
  • 1042,1442,45,1412月二十三日迄船上山行在に坐ます、此間の事に
  • 460,1160,38,481とある、同人なり、
  • 1735,650,49,2202王箕村進氏か祖某か家に入らを給ふと云へなは妄説なり、かくて天皇數
  • 1155,638,48,2024て深田氏か筆記に云へる如く、内親王は此後彼の家に止まり給ふ、
  • 1858,1584,44,1283聞するに、當寺は當時藤井某つ宅地にして、
  • 385,1211,46,1637畫面に天皇も御再會坐まして、佛舍利を得させ給ふ状
  • 342,1226,46,1615あり、然るに船上山より還幸は、山陰を東に發し給ひし
  • 1200,639,47,2071雲は佐々木歴代の管國にて、其指揮當國に及へるか故に、斯の如し、さ
  • 1503,651,48,2199給ひ、數多の御兄弟の中御一人遙に下らせ給ひしを、逆徒の爲に支へられ
  • 1387,644,47,1797奉れは、凡下恐れありと云へとも、感〓言語の及ふ處に非す、
  • 1902,1583,46,1281當寺の古畫、深田氏に筆記、又土人口碑を見
  • 1431,652,46,1770させ給ひて、御志を遂させ給はさ〓し當日の御事情を察し
  • 1782,650,49,2198一旦是に入らを給ひ、轉して深田氏に止まり給ふ、稻田氏か筆記に、初内親
  • 689,645,49,2203薙髮の事、本文前後せるつ如きは、筆記の疎なるつ故なり、略縁起に勅使京
  • 1549,653,46,2178の開基たりと云ふ一説あり、是なりや否や、抑内親王天皇の御別を悲し
  • 1664,654,48,2192日の後、深田氏を發して御渡海あり、然れは御訣別は彼家にの御事な〓
  • 1086,1439,45,1422明年二月二十八日、天皇隱岐より御渡海有て、五
  • 924,658,46,2201はいかに御發心ありとも、いまた御薙髮御入寺もなき中に、かく勅諚を固
  • 736,652,47,2195らす、略縁起に一年を隔てゝ御薙髮あ〓と記せるは謬傳なり、此勅使と御
  • 1619,646,50,2201藤井氏か苗〓今斷絶す、四日市村同慶寺の下に、當時藤井氏法體して彼寺
  • 967,651,51,2201て、彼所より勅使を下されしなるへし、此時既に御薙髮の後なるへし、其故
  • 852,652,49,2199辭し給ふ〓きに非す、且下に擧る尊良親王の御詞書に據れは、去年の御薙
  • 265,641,51,2200趣、名和氏紀事に考證せるか如し、然れは戎馬の間御對顏の爲時に深田氏
  • 808,636,46,2206髮と見えたり、然れは深田氏にての御事なり、此年紀何れの筆記にも明ふ
  • 506,660,27,100〓ら
  • 221,651,48,2189に入らせ給ふ事あるへきにあらされし、右の畫面は後人の杜撰と見えゝ
  • 459,651,38,54す、
  • 631,649,49,2204より下て、御歸洛を進め奉宮し由記せるは、また誤なり、序に云ふ、上古後宮
  • 607,1800,30,186ソギアマ
  • 558,645,51,2229貴戚の入道は、薙髮には非すして、所謂刺髮尼なる例なれとも、當時既にし
  • 138,2444,45,123六三三

類似アイテム