『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.564

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に六院を構ふ、春音の坊は遍照院と號、今の圓福寺其所也、其餘五院は、今の, つれの地なるか、證こたへて申上るは、武州櫻田の村民内藤六郎か山なり, す、いつれの地か可ならんや、去庚子の年關原の役に、勝軍の法を修しはい, 始て、九月に至り功を竣て、廿四日に、はしめて貴賤の觀禮をゆるさる、山下, と、即石河六郎左衞門尉に命して奉行として、地を錘り基を闢て、假殿を營, 金剛院、普賢院、仙藏院、華藏院、鏡照院等也、, 癸卯の夏の頃、春音にのたまはく、神祠を營構し、勝軍の像をやすんせんと, 願に依て也、本地佛者、乃、殿下恭敬の御持尊、行基菩薩所彫刻, 通春, ○幕府本社幣殿等ヲ建立スル事、慶長十五年三月ニアリ、參看スベシ, 地藏也、則神證を別當に御付け成され、金剛院と號す、其院跡今は圓福寺の, 神證字は春音、後、春香と改、下野國人、姓は鹽谷、母は皆川氏也、, 幕府、故權大納言久我通堅ノ孫一尾通春ヲ召シ、後、祿千石ヲ與フ、, 慶長八年, 館中と成る、, 愛宕山別當圓福教寺、瑞林集、江戸愛宕山之草〓者、台, 〔寛政重修諸家譜, 江戸砂子), 一尾三休, ○中, 五上, ○下, 守、從五位下, 小兵衞、淡路, 略, 略, 初具堯、久我大納, 言通堅か二男、, 十九, 芝, 四百五, 一尾三休, 慶長八年九月是月, 五六四

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  • ○中
  • 五上
  • ○下
  • 守、從五位下
  • 小兵衞、淡路
  • 初具堯、久我大納
  • 言通堅か二男、
  • 十九
  • 四百五
  • 一尾三休

  • 慶長八年九月是月

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  • 五六四

注記 (34)

  • 688,686,74,2213に六院を構ふ、春音の坊は遍照院と號、今の圓福寺其所也、其餘五院は、今の
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