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の林泉寺に葬る、室は長谷川藤五郎秀一か女、, 山の城にありて、家臣小倉主膳某をして、下倉城を守らしめ、堀丹後守直, たひらけしむ、秀治はもとより東照宮に志を通したてまつり、封地春日, 萬石は、村上周防守義明、六萬石は溝口伯耆守秀勝これを領して、秀治か, 寄をして、坂戸城を守らしめ、また弟美作守親良は、下田村にをいて一戰, 還され、關西に御進發あり、このとき、景勝兵を越後國につかはし、郡縣を, 感状を下さる、十年四月、台徳院殿將軍宣下御拜賀のとき供奉し、十一年, 小山に御在陣のところ、石田三成逆意を企るよしきこえしかは、台〓を, をとけ、家臣堀監物直政は、柏崎に兵を出し、各奮戰して逆徒を破り、國中, 後一國をたまひ、四十五萬石の地を領し、春日山の城に住す、とのうち九, こと〳〵くたひらくにより、この事東照宮台徳院殿に言上をしかは、御, 與力たることもとのことし、五年東照宮、上杉景勝御征伐として、下野國, 五月廿六日、春日山にをいて卒す、年三十一、賞泉存忠林泉寺と號す、其地, この日台徳院殿より、松平の御稱號、及ひ御諱字をたまはり、忠俊と名の, 忠俊母き秀一か女、慶長元年北莊に生る、十一年十一月十一日遺領を繼, 慶長十一年五月二十六日, 秀治上杉, ヲ敗ル, 景勝ノ兵, 忠俊, ヲ賜ハル, 春日山城, 遺領相續, 松平ノ稱, 一四〇
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- 秀治上杉
- ヲ敗ル
- 景勝ノ兵
- 忠俊
- ヲ賜ハル
- 春日山城
- 遺領相續
- 松平ノ稱
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- 一四〇
注記 (25)
- 394,721,56,1358の林泉寺に葬る、室は長谷川藤五郎秀一か女、
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